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ある陶工

日本経済新聞 2005年4月15日

無垢の力 (10選) 4
早稲田大学教授 丹尾 安典

 海からひろってきたような小壷だった。その肌はガサガサで、まるで貝殻が付着しているみたいだった。すべらかな釉薬のかかった心地よい陶器の世界への安住を拒絶し、水底でずっと忍んできたかと思わせる表情。それは[焼き物]と呼ぶよりむしろ「焼かれ物」と呼びたくなる趣でもあり、ケロイド状の陶器とも見えた。作ったのは国吉清尚という沖縄の陶芸家だった。小壷はすでに作者の最後を予感していたのかもしれない。1999年、国吉は自らの身を焼き、55歳で死んだ。
 秦秀雄という骨董の目利きがいた。「珍堂」と号し、井伏鱒二の『珍品堂主人』のモデルともなっている。秦は1972年に、たまたま鹿児島で「大胆な、そして不適な面構えをしたどびん」と出会い、ぞっこん惚れ込んだ。まだ20代の国吉の作であった。
 沖縄の土が語りかけてくるところを、しかと肌にうけとめ、それを愚直に形の言語へと翻訳し、火炎の力をえて、定着させること。それが国吉の作陶原理だった。
 じつに目のきれいな男であったという。秦が評する如く、作風は大胆不敵であったが、その造形には、澄んだ海の悲哀にも比せられる痛みがいつも刻みこまれていた。
(写真の説明:1992-93年頃、口径2センチ 高さ6センチ、個人蔵)


国吉清尚年譜 (第2編・丹尾編)

1943年 (昭18)9月28日、国吉清健・シヅの長男として首里にて生誕。
1944年 (昭19)1歳 母と共に喜名に移る。
1945年 (昭20) 2歳
1946年 (昭21) 3歳
1947年 (昭22) 4歳 この頃、那覇にもどる。
1948年 (昭23) 5歳
1949年 (昭24) 6歳
1950年 (昭25) 7歳 真和志小学校入学
1951年 (昭26) 8歳 小学2年に進級
1952年 (昭27) 9歳 小学3年に進級
1953年 (昭28) 10歳 小学4年に進級
1954年 (昭29)11歳 小学5年に進級
1955年 (昭30) 12歳 小学6年に進級
1956年 (昭31) 13歳 小学校卒業。寄宮中学校に入学
1957年 (昭32 14歳 中学2年に進級。この頃空手をはじめる。
1958年 (昭33) 15歳 中学3年に進級
1959年 (昭34) 16歳 中学校卒業。那覇高校に入学。
1960年 (昭35) 17歳 高校2年に進級
1961年 (昭36) 18歳 第13回沖展(3月30日~4月3日)の絵画部ぶ入選、
           高校3年に進級。
1962年 (昭37) 19歳 高校卒業。東京に出て、赤羽の印鑑屋ぶ就職。
1963年 (昭38) 20歳
1964年 (昭39) 21歳 このころ沖縄にもどり、小橋川永昌のもとで陶器修行を開始。沖        縄の古陶の蒐集をはじめる。(?)
1965年 (昭40) 22歳
1966年 (昭41) 23歳 第18回沖展(3月30日~4月3日)の陶器部門に「陶枕」を出品し奨励賞を受賞。浜田庄司と知る。日本大学国文科入学し東京に出るが、ほとんど大学にはかよわず、益子に行き、陶器の修行。
1967年 (昭42) 24歳
1968年 (昭43) 25歳
1969年 (昭44) 26歳 沖縄にもどり読谷村に窯を開く。
1970年 (昭45) 27歳 安次富安子と結婚。
1971年 (昭46) 28歳 
1972年 (昭47) 29歳 5月12日、真由美誕生。
1973年 (昭48) 30歳 ハワイへ行く。
1974年 (昭49) 31歳
1975年 (昭50) 32歳 ハワイから戻る。(前年?)。山城時計店で安子と2人展開催。
           秦秀雄が『銀花』に国吉を取り上げる。
1976年 (昭51) 33歳 銀座黒田陶園でオブジェ「渚シリーズ」展開催。
1977年 (昭52) 34歳 銀座黒田陶園でオブジェ展開催。
1978年 (昭53) 35歳 
1979年 (昭54) 36歳
1980年 (昭55) 37歳 安子と離婚。
1981年 (昭56) 38歳 5月、銀座黒田陶園で個展。
1982年 (昭57) 39歳 
1983年 (昭58) 40歳
1984年 (昭59) 41歳 5月、国際通り観宝堂二階「ギャラリー観」にて「国吉清尚茶碗展」開催
1985年 (昭60) 42歳
1986年 (昭61) 43歳 黒田陶園で「第4回 国吉清尚作陶展」(10月14日~31日)
           クレイトン・天宮(雨宮?)のためにハワイで穴釜を築く。
1987年 (昭62) 44歳 青砂工芸館で「炎のはぐぐむ器 国吉清尚展作陶展」(9月28日~10月11日)。
1988年 (昭63) 45歳 青砂工芸館で「珊瑚礁の器 国吉清尚作陶展」(10月14日~22日)1989年 (昭64/塀) 46歳 10月、「国吉清尚作陶展ー白い土の幻想」(10月20日~29日 青砂工芸館)
1990年 ( 平2)47歳 4月、国吉清尚作陶展(4月16日~23日) ギャラリー黒砂糖)。5月、「国吉清尚花器展」(5月29日~6月3日ギャラリーみやぎ)
1991年 ( 平3)48歳 
1992年 ( 平4)49歳 リウボウ4階美術サロンで「今・沖縄の陶芸 伝統と創造の六人展」(3月31日~4月13日 参加作家、大嶺実清・金城敏男・国吉清尚・上江洲茂生・山田真萬・島袋常秀)。「ギャラリー1956」で「僕はモットツヨクナリタイ 国吉清尚黒陶展 華器 武器 秘器」開催(8月8日~12日)。
1993年 ( 平5) 50歳
1994年 ( 平6) 51歳
1995年 ( 平7) 52歳
1996年 ( 平8) 53歳 「国吉清尚酒器展」(1月19日~25日、大見屋・ギャラリーAKIBEYAⅡ)。
1997年 ( 平9) 54歳 国吉清尚 華器・食器展」(4月15日~27日 D's Gallery)。
1998年 (平10)  55歳 5月、朝日新聞社主宰「朝日現代クラフト展」(5月・阪急百貨店うめだ本店、6月有楽町阪急)に参加。6月ー7月「国吉清尚華器展」(壺屋焼物博物館)、「国吉清尚酒器展 PartⅡ」(6月29日~7月6日 大見屋・ギャラリーAKIBEYAⅡ)。1999年 (平11) 56歳 「国吉清尚 華器・酒器展 世紀の卵シリーズ」(1月26日~2月7日、D's Gallery)。
            5月10日死去。 法号「隆生院法清尚徳信士」  
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国吉清尚さんの作品を持っている。
作品といえるかどうかはぎもんもあるが・・・・・

じつは・・・勝手に持って帰ったもので、それも未完の作です。
彼の窯が道路拡張のために取り壊されることになった、廃屋と化した工房に忍び込むと
残っているモノがある、遺族にって打ち捨てられたものと解して記念に頂いてきた。

釉薬はかかっているが窯に入る前の壷、形色がおもしろい。
本人は気に入らなかったので窯に入れなかったのだろうか。
猪口は酒を飲ませていただきます。

笑って許してください、煙と共に登っていった清尚さん。 ▲ # by nesu-pa | 2005-08-04 11:16 | Trackback | Comments(0)



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