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政治家の発言

 私は自民党の政治家が過去の人物になるとその人の発言に共感してくる。加藤元幹事長もそうだ、彼が幹事長の時は感じなかったが、潰れた後の発言は的を得ていると思う。自民党を背負っているときは党の体質が出て、離れたら”個人”が出るからそう思うのだろうか。逆に私が色眼鏡で見ているのか。

メモして、過去ログから再掲しておこう。
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http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007041800924
2007/04/18-19:20 慰安婦決議阻止の有志訪米に懸念=自民・加藤氏

 自民党の加藤紘一元幹事長は18日午後、CS番組の収録で、従軍慰安婦問題をめぐり連休中に訪米し、日本政府への謝罪要求決議案の採択阻止を働き掛ける同党有志議員の計画について「(26日からの)首相訪米が終わった後に、乾いている枯れ草にたいまつを持っていくような議論になりはしないか」と述べ、かえって米国内の批判が高まるとの懸念を示した。
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野中広務

野中を好きではなかった。
あの傲慢ともいえる恫喝、なぜ自分の(政府の)意思をごり押しするのに
恫喝、脅迫するのか。

ところが近頃彼の言葉を読むに、意外な一面を見る。
例えば

一九八二年(昭和五十七年)三月、京都市の京都会館(旧岡崎公会堂)で全国水平社創立六〇周年記念集会が開かれたときだった。

来賓として壇上に立った京都府副知事の野中はこう挨拶した。

「全水創立から六十年ののち、部落解放のために集会を開かなければならない今日の悲しい現実を行政の一端をあずかる一人として心からおわびします。私ごとですが、私も部落に生まれた一人です。私は部落民をダシにして利権あさりをしてみたり、あるいはそれによって政党の組織拡大の手段に使う人を憎みます。そういう運動を続けているかぎり、部落解放は閉ざされ、差別の再生産が繰り返されていくのであります。六十年後に再びここで集会を開くことがないよう、京都府政は部落解放同盟と力を合わせて、部落解放の道を進むことを厳粛にお誓いします」
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何処からの引用か忘れたが次のような発言もある。
野中は、昭和三十七年(一九六二)沖縄の那覇空港に降り立った。当時は占領下で、米軍飛行場の片鱗にある民間飛行場のようだ、と感じながらタクシーで宜野湾(ぎのわん)市に向かっていた。

京都府出身の部隊が終戦間際、最激戦地・宜野湾で猛攻撃を受け、二千五百余人が戦死した。その慰霊碑を嘉数(かかず)の丘に建立しようと考え、訪問したのだった。

その途中、タクシーの運転手が突然、ブレーキを強く踏んで車を停め「あそこのサトウキビ畑で私の妹が殺された」と言ったかと思うと、急に泣き出した。号泣はしばらく止まらなかった。

報告をしたあと野中は突然、声を高めて「この際、一言、発言をお許しいただきたい」と述べ、本会議場が一瞬静まるなか、タクシー運転手の心情に触れたあと、異例の演説をした。   

その時の光景を思いながら日米安保体制の堅持がここに新しい一歩をしるすとともに、沖縄について様々な振興策が、今日まで橋本総理を先頭に誠実に行われてまいりましたけれども、これから長い歴史の中で、たいへんな痛みと犠牲と傷を負ってきた沖縄県民に対して、この法律が新しい沖縄振興のスタートになりますように、そして多くの皆さんのご賛同を得てこの法律は成立しようとしています。しかし、この法律がこれから沖縄県民の上に軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないことを、そして、私たちのような古い苦しい時代を生きてきた人間は、再び国会の審議が、どうぞ大政翼賛会のような形にならないように若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります

2004年07月18日 07時30分19秒
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