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オキナワのミルク

 http://www.asahi.com/life/update/0317/005.html

沖縄の牛乳、946ミリリットル主流 米国・ガロン由来
2007年03月17日15時37分
 店頭に並ぶパック入り牛乳。沖縄でも本土と同じ1リットル容器がおなじみだが、実は沖縄では、ほとんどの商品は中身が946ミリリットルしかない。72年の本土復帰前から、米国のメーカーが主に基地内向けに4分の1ガロン(約946ミリリットル)入りで売っていた名残だ。暑さのせいで乳牛の飼育費が本土より余計にかかることもあり、生乳の値段が割高という事情もある。
--------
 私も何故牛乳が1リットルではなく946ミリリットルなのか理由が分からなかったが、この記事で分かった、四分の一ガロンだったのだ。

 あれは小学校の1年生だったか2年生のときだったか、「明日から学校でミルクが飲めるようになるのでコップを持って来るように。」と先生がおっしゃった。しかし家にコップなんてあるわけが無いので翌日2合壜を持って登校した。
午前中の授業が終わると校庭の木の下でシンメーナービ(直径7~80センチメートルの大きな鍋)に脱脂粉乳の固まりを溶かしたミルクがグツグツ煮えたぎっている。柄杓で生徒に配っているがコップのように広口容器を持っている子は少なく、壜が多い。柄杓から細い口の壜に注ぐのはムツカシイし、その上熱いので担当している先生は「こんなビンには入れられない」と怒っている。それでもミルクなんて珍しいものを逃してなるものかと生徒は並んで配給を受けた。そのミルクを全部は飲まないで家に持って帰り妹に飲ませたり、時には犬にもお裾分けした。

 そのミルク給食も長くは続かず何時の間にか無くなった、炊き出しする設備の問題やその他の問題があったのだろう。このミルク給食については中学校の頃に又話が出た、しかし飲んだ覚えは無い。私たちの頃はミルクだけの給食も無かった。

 アメリカで脱脂粉乳は脂肪分がカットされているので身体に良いと好まれているという話を聞いたことがある。又バターを取り出した後のカスでそれを援助物資にしているのだ、と言う人もいた。どちらも信憑性のある話だ。

 脱脂粉乳は独特の味があるので飲んだらすぐ分かる。今でもスーパーへ行けば売っている、安いが私は飲まない、キライだ。

 いま日本とオーストラリアの間でFTZ交渉が行なわれ合意されようとしている。私はハンタイです。オキナワの牛乳は高い、しかし高くてもそれがオキナワの酪農家を支えているので多少のことは我慢すべきだ。FTZとは北海道とオキナワの酪農を同一視して競争させるようなものである。ある程度の負担は止む無しとオキナワの消費者は心がけるべきだ、高いと思ったら量を減らせばいい。安い物を飲みたさにウチナーからホルスタインを駆逐すべきじゃないでしょう。
同じ理屈で日豪FTZはヘンです。
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レチョン (ブタの丸焼き)

 子供の合同誕生祝をした時の事だから30数年前の話にある。
友人の間に半年ほどの間に5名の赤ちゃんが誕生した、それでは合同で誕生会を持とうということになった。
友人の一人が農大を卒業して農業を始めて養豚も手がけていたので豚の丸焼きをして盛大にパーティを開くことになった。

 その2年程前にはヒージャー会もしたので豚もどうにかなるだろうと思った。ヒージャー(山羊)は生きていたものを買い、海岸で殺して毛を焼き解体してヒージャー汁に仕上げるのに、朝から手がけて食べ始めたのは夕方だった。

 豚もナンとかなるだろうと考えていた。丸焼きにするツモリだったので、鉄パイプで大きな串を作り万全の体制と思って会場のビーチへ出かけ、炭火を焚き豚を串刺しにして焼き始めた。ビーチは人出が多く豚の丸焼き風景をチラチラ眺めながら海水浴客が行き来する。私たちのグループはチョット自慢げにビールを飲んだり火加減を見たりと楽しんでいる。

 そこにフィリピン人の男性が覗きに来ては帰る、それが2~3回続きとうとう我慢できないという風に話しかけてきた。てんでなっていないやり方が間違っていると言う。それでアドバイスをしながらサッサと炭をくべたり並べなおしたりと動き回って一段楽したところで帰った。
ありがとうございました。
あの人の口出しが無ければ何時まで経っても出来上がらなかったでしょう。食べる頃になってその人を探したが見つかりませんでした。

 豚の丸焼きなんてやったことも無いので豚の大きさも考えずに100斤ワーグァー(60Kgのブタ)でやってしまった。子豚なら自分なりのやり方で焼けただろうが私たちのは大きすぎて、その割りには火が弱すぎた。フィリピン人の手助け無しには焼き上がらなかったでしょう。
 焼き上がったレチョン、焼きブタは数十人で食べました。

 当時の赤ちゃんはリッパな親の下すくすく成長し、今ではそれぞれ自分の子供を育てている。しかしその子供たちに我々親がやってあげたような盛大な誕生パーティはしていない。今どきの子はオリコウなのでバカなことはしない、親の背を見て子は育つ、それを教訓にしているのだろう。(笑)

Can you understand・・・?

http://www.youtube.com/p.swf?video_id=AHu5YOogV8I&eurl=http%3A//www.newstep.net/bahalana/bbs/btype-a.cgi&iurl=http%3A//sjc-static10.sjc.youtube.com/vi/AHu5YOogV8I/2.jpg&t=OEgsToPDskIqodnmj1_nD3p1iSApogZ5

英語にある程度堪能な方、面白みが判りますか? 
羨ましい。この程度の英語は分かりたいナ~

聞いては勿論分からない、読むのも早すぎる、そこでこれを紹介した板の住人に文章になったのを送ってもらった。
それでも分かりませんでした。

初めから読んで、次に逆に下から上へ読むと意味が違ってくるそうです。

this is the truth
if we turn things upside down
we can't be the best country in the world
I would be lying to you if I said that
Argentina has a great future ahead
that we will be a safe country
that our economy will be strong
that our children will be healthy, get an education and have jobs
before anything you must know
our country does not deserve such things
and I am convinced of this because I know the Argentine people
corruption and hypocrisy are in our nature
I refuse to believe under any circumstances that
we could be a great country in the coming years
thanks to the people's vote
this country is sinking to new depths but
there are even more surprises to come
Argentina has only one destiny
and whether we like it or not
this is what is real

(LOPEZ MURPHY FOR PRESIDENT
you should know I believe exactly the opposite)

バギオの鶏料理

3年前の日記にも同じ事を書いています。
「まにら新聞」からの無断転載です。

生活情報のコーナーの中の「名所探訪」の記事です。
しかし今では過去ログ置き場に移行されて有料購読者しか読むことはできないでしょう。10件程度は今でも載っています、フィリピンに興味がある方は読む価値があります。

このニワトリ料理を食べてみたい。日本では血抜きが重要な要素だが、血を敢えて肉に滲みこますなんて・・・でも食物としての理に適っている。素晴らしい食べてみたい。

http://www.manila-shimbun.com/

バギオの鶏料理
No. 263

バギオのトリ料理街 高地がはぐくむ滋味
 マニラから北へ車で約六時間、標高千六百メートルの高地にあるベンゲット州バギオ市。冬季には最低気温が十度を割り込むこともあるこの冷涼な地ではトリスープ、ピニックピカンが古くから親しまれてきた。市の中心部、マグサイサイ通り沿いの公設市場の一角に現地語で「やさしく殺して」を意味するこのトリスープを提供する食堂が軒を連ねている。

 無数のニワトリがカゴに押し込められている。養鶏場のような臭いが漂い、床には羽毛、ふんが散らばる。客は好みのニワトリを店頭で選ぶ。値段は調理費込みで一キロあたり平均八十ペソほどだ。

 注文を受けると、料理人人がニワトリの足をつかんで逆さ吊りにし、角材で容赦なくたたき続ける。こうすることで、体表に幾つもの内出血を生じさせる。食堂のオーナー、キャサリン・ディンガイさんは「血の塊りのおかげで肉の味が濃くなる。ブロイラーなのに、まるで地鶏(じどり)のようよ」と誇らしげだ。

 数分でニワトリがぐったりすると、今度は羽根をガスバーナーで焼いて取り除きながら、肉に焦げ目を付ける。途中、ニワトリが暴れたら、思いきり首を殴ってとどめを刺す。「残酷」という見方は野暮らしい。

 このあと、骨ごとぶつ切りにし、バギオ特産のキャベツやジャガイモと一緒に粗塩で二十分ほど煮込んで出来上がり。焦げ目のためか香ばしく、ビールと抜群に相性がいい。

 食堂には男性客が目立つ。強壮作用があると信じられているためだ。「週一回は必ず食べる。気温が低くなる時期は欠かせない。身体が温まるからね」と話す中年男性は風邪をひいたことがないという。

 スタミナ料理として一般市民に浸透したピニックピカンだが、ルーツは少数民族ボントックにある。族長のボンゴ・カウィットさん(60)を市内の自宅に訪ねると、ピニックピカンは本来、部族の将来や狩猟の成果、婚姻の吉凶を占う手段として用いられてきたと教えてくれた。

 実演を頼むと、民族衣装に着替え、暖炉に火をおこし、棒切れで神妙に地鶏をたたき続けた。「首の周辺をしっかりたたくことで邪気を払う」と言う。呪術的色彩の濃い説明が続く。

 羽根を暖炉の火であぶったあと素手で腹を割き、内臓に浮き出た血の模様で占う。「占いが当たる確率は九九%以上」と前置きしたうえで、カウィットさんは「日本の未来は明るい」と予言した。

 やりで仕留めたイノシシの一年物の塩漬けと一緒に煮込んだピニックピカンは、滋味に富んだ料理である。長年かけて一般市民に広まっていったのも納得だ。

 アジア各地で猛威を振るった鳥インフルエンザ禍を受け、バギオ市衛生当局は今年二月、ピニックピカンを提供する食堂に対し「衛生的な環境で調理するよう」通達した。しかし、市当局の職員は「ピニックピカンは伝統料理。これまで問題は出てないし、取り締まる予定はない」と話した。(柘植陽子)

2004年07月21日 06時40分30秒

逃げる

 今日は「復帰35年 あらためて問う 沖縄返還密約 
私たちはどう向き合うべきか  -東京地裁判決を前にー」という討論会を聞きに行った。 密約問題、毎日新聞の西山太吉記者は覚えているかな、沖縄返還交渉が最終段階に来た時密約を暴き国家を震撼させた人です。西山元記者の国家賠償法の訴えに対して3月27日に判決が出るようなので注視して下さい。

 maxi君に誘われたのだが、渡りに舟の状況もあった。それは子供が小学校時代に通っていた剣道クラブの何周年記念大会をするので参列してもらいたいとの連絡を受けていたからだ。父母会=後援会の会長をやったことがあるので招待したのだろう。子供がお世話になっているので応分の協力をしただけで剣道そのものには全く興味が無いのです。黙って行かなければいいのだが自分自身に後ろめたさを感じるのがイヤなので真っ当な理由を探しているときに誘いのメールがあったのでヨカッタ~とばかり参加した。

 ある困難な局面都合の悪いことに遭遇した場合に取る行動は、私は逃げる。
学生時代に教養のフランス語を落として4年生まで引きずっていた。仏語の先生は中間試験も行なっていた、ある日△日に試験を行なうと通告があった。マズイ、勉強していないので対策を取らねばと学部へ戻り求人票のある部屋へ駆け込んだ。ウマイ具合にその日に試験を行なう会社があったので早速受験申し込みをして、仏語の先生に「その日は就職試験で博多へ行かねばならないので試験を受けることが出来ません、」と授業出席免除の証明書を持って行き了承された。
試験から逃れれられるし、交通費は会社から貰えるしあわよくば日当まで支給する会社もあった。その時受けたのはオリベッティというイタリア系の会社だった。なぜそこにしたのかというと、面接のみで筆記試験が無かったからです。

 さて、それから30年近く経って同期生会が開かれたので始めて参加した。宴会が始まり近況報告を兼ねた自己紹介があった。
「当時は一生懸命日本人になろうと運動し日本人になったが、今では後悔しています。」という趣旨の挨拶をした。隣の呉さんは”当時は日本人ではなかったがいろいろあって国籍を取り今は日本人になりました。”と続けた。その次は「え~昔も今も日本人の私○○です・・」とやって会場は大爆笑の渦。

 呉さんと話したら、国籍問題で所謂フツーの大企業は全て撥ねられて外資系にしか行けずに、就職したのがオリベッティとのこと。永年勤続か営業成績が良かったのか本社に招待があり奥さん同伴でイタリア旅行を楽しんできた話をしていた。
私は沖縄に帰るつもりだったので就職試験を受けたのは殆んどが東京見物をしたいとか試験逃れとかの邪心からだった。それで私はオリベッティを受けたなんては言えなかった。

春風はいずこ

 昨日注文していた写真を受け取りに出かけた。介護のために改修する現場の着工前の写真なので役所から日付入りと指定されている。プリンターは持っているけど日付の入れ方が分からず写真屋に注文した。
 180円です、といわれてポケットからお金を取り出すと硬貨は手のひらイッパイあるが100円足らずしかない、後のポケットに手を突っ込むがハンカチしか入っていない。
シマッタ~

 近くにある大型スーパーまで行き降ろした。100円あれば足りるがATMでは硬貨は降ろせないので1000円降ろして写真屋へ戻る。店に行くのに180円も持たない人は少ないだろう。ちょっぴり恥ずかしかった。

 今日の土曜日は午後から西山太吉さんのシンポジュームがあるので聞きに行くつもりだ。オキナワ返還交渉密約問題の判決が近い、日本政府の欺瞞を司法の場で断罪してもらいたい。
午後からシンポへ行くなら華道展は午前中に行かねばならなくなった。同じ展覧会のキップを二人から貰ったので顔を出さねばならないのだ。インターナショナルな華の展覧会なので流派を超えたものとなっている。

 半袖のポロシャツだけでは薄ら寒いだろうからとトレーナーを着る。買ってから20年経つだろう、ポイントとして貼り付けられている布地がボロボロになって垂れ下がっている。みっとも無いので別のにしなさいと妻の声、そうだろう華の展示会には着飾ってくるオバチャンが多いのでボロを着たら目立つ。招待してくれたアノ人にも悪い。私の春用の衣類はあるのだろうか、私は覚えが無い、ナイもの無いだろう。
さて何を着ていくか、この季節あのボロは適当なんだけどナ~。

春というのに秋風が吹いている感じの現実です。

コンベンションセンター

コンベンションセンターを建設していた頃なのでもう20年ほど前の話です。
当時私は外装関係の工場をみていた。我が社のスポンサーから完成間際のコンベンションでの仕事の依頼が来た、それは展示棟のトイレ表示板を取り付けるだけの作業だった。20cm角のプレートをビス止めするだけ、しかも数は3~4箇所なので多寡が知れたものだ。

 スポンサーからの依頼なので無碍に断る事もできないので行った、その頃ヒマだったのか二人で行った。ゼネコン相手なのでスポンサーの営業担当も一緒だった。取り付け位置なんて大体決まっている、トイレの入口付近の高さは見安いところと。しかし確認する必要があるので現場担当者に聞くと設計事務所の人に確認すると言う。

 その日はたまたまコンベンションを設計したエライ先生が東京からチェックに来ていた。その先生の事務所から派遣されて現場を見ている設計士が先生を案内しているのでトイレ表示板の確認ができない。しょうがないので私たちも担当の後を付いて歩いた。

 大先生はあれこれ質問やら指示をし、担当者はハイハイと答えている。”入口に掲げられた大きな「非常口」の電飾サインが大きすぎるので小さなモノにしなさい”と先生は言う。担当は「消防からの指示でそうなったので小さくできない、」と答える。”でも大きすぎてミットモナイ”と先生、若い担当者は困っている。
確かに素人目に見ても入口の大きな表示はマッチしない、でも消防と言うお上の言う事なので如何に大先生も折れざるを得ない、不承不承と言う感じで了解していた。

 我々も付いて行く必要は無いが、担当と逸れると探すのが面倒になるので、関係は無いが後ろについて一緒に歩く。
若い担当が先生に「外側の入口廊下付近に催し物案内の掲示板が欲しいと県のほうから要望があるのでどうしましょう。」
”そんなものを置いたら台無しだ、だめダメ。”と先生。
「そのように返事します。」と担当者が言う。

 私は退屈しのぎに先生と現場担当者のやり取りを聞いていた、そこで差し出がましいが意見を申し上げた。
”先生の気持ちが分からないでもないですが、このまま完成し県に引き渡したすとここの管理担当者は後日近くの看板屋を呼び発注して数万円のトタン製の掲示板が建物にアンカーで留めるでしょう。建物に相応しい案内掲示板を先生が考えて指示した方が良いですヨ。”

 大先生はちょっと考えて、担当に掲示板を考えるように指示した。
引渡しも終わってから到着した案内用ポスター類を掲示するステンの網を使ったものが届き取り付けた。
デザインも素材もしっかりした物が出来上がっていた。
今でもまだ残っているかな、あれは私の発案でできたモノです。せっかくの建物を美しいまま使いたいので全く関係ないのに提案した次第です。

あのような大先生にモノを言うたのは利害がなく、イチバン遠い存在だから言えたのでしょう。
で、トイレ表示板の取り付けは暫らく大名行列を続けた後に指示を受けてチョコチョコとビス止めした。展示棟のトイレ表示は私が取り付けたのだよ~
詳しい事を言わずに、オレもコンベンションの工事に関係したのだと吹聴しようかな。(笑)

# by nesu-pa | 2006-03-23 12:22 | Trackback | Comments(0)

カヤック造り

 またカヤックを作り始めている。又とは、これで3艇目です。
初めて作ったのはカナディアンカヌー、インターネットで木工関係のサイトを見ているとカヌーを作った、カンタンだったという記述を見つけたので作る気になったのです。作り方は検索して参考になるサイトを探して見て、読んで学んだ。乗ったことも無いのに付け刃の知識で何とかなるものです。

 見た目には素晴らしいカヌーが完成した。海に浮かべると付近のカヌーイストが賞賛の声を上げたほどです。乗っても沈まずに海の上をスイスイ走りました。これに気を良くして今度はシーカヤックに挑戦し完成させた。舵を操作する部分に若干の不都合はあったもののタンデム艇は見事な出来映えで海を滑りました。
この様子は左下リンク欄に紹介しているブログで詳しく書いています。

 あれからもう2年ほど経過した、それで又作り始めようと思い準備を始めた。作る時のモットーはは金を掛けない、です。買えば容易に手に入るのに代用品を作るのに時間を掛けます、金は無いが時間なら幾らでも融通できるからです。

前回造ったときから時間が経ちすぎたのでモールドの図面を描くにも考え込んだり、過去ログを読み返したりと勘が鈍っているのを感じた。もともとその道に詳しいわけでもなく付け刃な知識で造ったので身に付いていなかったのです。
それでも思い出すことができてモールドの図面は仕上がりました。

 何か大きなものに取り組むにはそれ相応の準備や作業が待っている。まず工房の整理から始めた。乱雑になった工具室の整理整頓から始めて作業場の大掃除までやった。大きなモノを何処かへ移動せねばならない。
資材・材料の手当ても始めねばならない、でもこれらは楽しい作業です。
これから数ヶ月間汗が流れる季節になるが楽しみながら汗を垂らしましょう。

白い旗赤い旗

http://www.flickr.com/photos/conspicuous/sets/72157594581377445/

アメリカはオレゴン州のポートランドにあるリールカレッジって言う学校の校庭に立てられた無数の旗。
これはイラク戦争で亡くなった人達を追悼するためのモノで、白と赤いフラッグが見えると思いますがそれぞれには意味があります。
無数の白いフラッグはイラク戦争開戦以来亡くなったイラクの人達を表し、赤いフラッグは同じく戦争によって亡くなったアメリカの軍人を表しているそうです
-------
という記事を読んでそのサイトを見た。

静かに死を悼む気持ちがよく出ている。
静かで美しい風景だ。
イラク人の魂を白い旗、アメリカ人のそれを赤い旗で表しているが
あまりにも多い人の命の象徴がまるで花のように美しい。
心を打つ。

イラクで米兵が死んだらザマーミロという思いがせんでも無いが
あの無数の白や赤を見るとそのような心も痛みに変わる。

大声を出した抗議する、生きている人間は集まって抗議する
大切なことだ。
しかし何も言わずただそこに在るだけで訴えている白と赤は
それらに劣らず訴える力が感じられた。

透明で静かでただそこにある
なんと力強い訴えなのだろう、
胸にじ~んと沁みました。

白と赤の旗

身体の軋み

 身体の節々にコリや違和感を感じる。動かすときには錆びた兆番のようにギーギーと軋む音が聞こえるのじゃないかと思うほどだ。
事の発端はルンバウォークの指導を受けて、その真似をしたからだ。腰を入れてクルッと回すのだが下半身に柱を作りその周囲を回すようにと意味不明な表現をされて、それを自分なりに解釈して突っ張って回す行為をした。その上脇から背中についている筋肉を縮めなさいとも言われた。筋肉の動きを感じるような動きをしなさいと言われるが、私の背中に筋肉があるのか無いのか一向に感じない。
翌日腰周りをはじめアチラこちらが重く感じた。

 その数日後器具トレーニング教室へ出かけた際に、指示された負荷に10ポンド勝手に加えてトレーニングをした。私は各15回づつ行なうのを常としている、オーバーした負荷でもナンとかできるのでそれを2セットやった。腹筋背筋のみならず胸や背中それに腕やら大腿部と全体の筋肉とレーニンなので、10ポンド強くしても平気な部分と必死にならねばならない部分がある。何事もやり遂げたときの達成感は気持ちがいい、たとえ馬鹿げたことでも。ある器具では自分との戦いでナンとか15回やったのもある、汗も出たが晴ればれとした気分にもなった。しかし疲労感はあった。

 翌日からこういう状態になってしまった。腰の後ろ側、背筋だろうがそれが硬くなってトントンとコブシで叩くと気持ちが良い。ダンスの時には感じなかった筋肉が痛みコリが出て感じるようになった。筋肉の場所も分かったのでダンスには応用できそうだ。

 熱い風呂に浸かったら気持ちがいいだろうが、我が家でバスタブに水を張るのことはほとんど無いのでそれは適わない。銭湯へ行こうかな。
そうだバランスボールでストレッチをしよう。なぜこの数日思いつかなかったのだ。早速はじめよう。
ではでは

尖閣列島

 火曜日に沖縄県知事が尖閣諸島を視察するとのこと。それも自衛隊の飛行機を利用するという。
何故いま視察する必要があるのか疑問に思う。
県の行政区域だから当然のこととの発言があったように思うが、知事は就任して未だ3ヶ月しか経っていない、その間に離島はどの程度訪れたのか、人間が生活している島をどの程度視察したのか。今県として何の問題も無いと思われる尖閣諸島の視察を先に持ってきた理由は何か、まさか遊覧飛行が目的でもあるまい。

 知事は県内の有力者で作っている自衛隊の後援会的な団体の会長でもあるようだ。職指定ポストかもしれないが知事になったら何らかの方策を採るべきでしょう。そのような思考回路の延長に今回の自衛隊機による尖閣諸島視察に繋がったとしたら我が県にとっては不幸な前兆となる。

 尖閣問題が浮上すると県として何らかのアクションを取るのにイチャモンを付ける気は無い。現在国レベルでは尖閣領有権で中国・台湾と鞘当はある。しかし県レベルでは何も無いと私は認識している。県政においては尖閣列島に対し具体的な懸案も施策も殆んど無い、放っているだけだ。あるとするなら鉱業権のことぐらいだろう。
波風が何も立っていないところへ何をしに行くのか。

中国の領事から取りやめるよう申し入れがあったと報道されている。これに対し知事は県の管轄下だから中国の言う事を聞く必要は無いという言い方をしている。それはそうだろう、しかしだからというて県知事として視察するのは浅はか思慮不足だ。沖縄県側から問題を起こす必要は無い。問題を起こしたら失うものはあっても得るものは何も無い。それに何か問題が起きたら沖縄側から対抗手段が無いのは明白だ。島根県と韓国との竹島を廻る問題で島根は大声を出したもののその後取る得る手段は無かった、交流が中止になってしまった。

 我が沖縄県と中国との付き合いは今さら書く必要はない、文化経済交流は島根と韓国の比ではないだろう。中国がクレームをつけて具体的行動に出た場合、県は対抗手段があるのか、全くないでしょう。観光立県を掲げて外国客誘致をすべく行動を起こしているのに県知事が県の将来ビジョンに水を差すような行為をするのを容認できない、ハンタイです。
昨今中国・韓国を小馬鹿にしたらある部類に人気が出る風潮があり、安易にそれに乗る政治屋がいて総理までなっているが、その真似をする必要は無い。中止せよ。
沖縄と中国の関係は例え国レベルはどうであれ、仲良くすべきだ。
今回知事が予定通りの行動をとれば、それタダの視察旅行でなく両者関係のトウタビとなる。

バランスボール

 バランスボールという直系が50~65cmほどボールがある。
その名の通りボールに坐ってバランスを取るだけのもので、それだけで運動になるボールである。両足を床につけてボールに坐るのはた易い、その次に片足を水平に伸ばすとなると若干要領が要る。ボールは球なのでーと当たり前の事を言うがー重心がズレルとボールは動く、安定させる為に身体を捻ったり前後に前後左右に動かしてバランスを取る。このバランスを取る動作が運動になるのだ。

 昨年妻が手に入れたようだが、大きなボールを見ると孫が乗って遊ぶだろうからアブナイと出さずに置いてあった。それなのに先日センターで「バランスボールで運動を」という講習会に参加して使い方をひと通り習ったので出す気になったようだ。膨らますにしてもアレだけの容量を大人が乗っても潰れない程度に空気を入れるのは簡単ではない。ところが私にはカンタンだ、コンプレッサーでシュ~とやれば直系65cmでもたちまち膨れ上がった。附属の味踏みポンプでもこうは行かないだろう。

 大きく膨らんだボールの上に坐ってみるが両足を床に付けた状態では楽に坐れた。次に片足を上げるも、少々ふら付いたものの静止できた。そ~っと両足を上げようとするがやはりムツカシイ。後にひっくり返らなければ大怪我しないだろうから、それだけを注意してボールの上に脚を離して坐るのに挑戦した。

 暫らく身体を動かしていると、しなやかな竹を振って数個の湾曲が波のようなサインカーブを作るが如く、背骨が振られて矯正されていくような感じになった。
下半身は動いても上半身はその場を動かないようにするので筋肉も使うようだ、しかも普段使わない筋肉を使うので腰が痛くなった。ボールに背中を当ててグ~ッ伸びると気持ちが良い。当分はこのボールで遊べそうだ。

街角の陶芸

 近くを散歩して路地に入ると植え込みの中に焼き物が置かれている一角がある。
それらはにょきにょきクニャクニャと土を突き破り蠢いている。土に眠っていたのを作者によって起こされて捏ねられ焼かれて命が吹き込まれたように思える。命が吹き込まれたというよりも、作者と土の中に秘められたいたモノが共振したというのが表現が似合っている。

 一つひとつが苦悩、生命、喜び、悲しみを持っている。一つの作品の中にそれらを全て併せ持つのもある。おもしろい人がいるものだと思いながら見た。妻を連れてきて見せ、写真も撮った。
これは数年前のことだった。

先日久しぶりに其処を通った、草木は前よりも伸びたが焼き物はそのままの姿である。あの時撮った写真はハードディスクが吹っ飛んだので手元に無い、そこでもう一度撮りなおした。あの時感じた印象にユーモラスも加わったように感じる、同じ作品なのに私に余裕が出てきてそう感じるようになったのか。

作者はどうしているだろうか。あのときウロウロしてたら出てきて話をし、後日訪ねたこともあった。陶芸は自己流で始めたとのことで、自分の想いを捏ねて練りあげ焼いているような事を言うていた。オキナワの苦悩、希望を作品に仕上げているように感じた。
岡本太郎美術館(記憶がハッキリしない)の募集に応募して当選し、作品が15点ほど出来あがったら展示会が開かれるそうだ。
もう焼きあがって展示会は開かれたのだろうか。訪ねて聞いてみよう。

スゴイ人がいるものだ、それをただブラブラ歩いて見つけたのが嬉しい。
道端に置いてある作品を見てどう感じますか?

写真を載せようと思ったのに、ここFC2BLOGの写真の載せ方を知らなかった、スミマセン。

ヘルプを見たら何とかアップできそうです20070310065550.jpg

20070310065550.jpg

ハチャグミ精神

 mixiに招待はされたもののサテサテ何を書くのか悩んだ挙句に高校時代に携わった学級新聞を転載している。行の並び替え、整列のために読み直していると当時の事を思い出す場面が多々ある。
 
 ハチャグミ精神もその一つだ。
ハチャグミとは米を破裂させて作るお菓子で、ポップコーンの米製品です。蜜で俵型に固めてある、大きさは子供の握り拳大というところ。
で、我が那覇高の校風は言えば「ハチャグミ精神」であった。一見纏まっているようで噛んでしまえばバラバラになるという、脆い纏まり、固まりを自嘲を込めてハチャグミ精神と呼んでいた。

 今ハチャグミ精神を考えてみると、個が集まって集団を作るがその個は融合することなく最後まで自分を失わない。その分外からの圧力に弱いが集団が砕け散っても個は最後まで残っている。それも一粒ひと粒が完全にバラバラになるのではない、小さな集団になって残る勿論一粒になるのもあるが、多くは小さな固まりとなっている。
原子分子のレベルでもそうなっているので、人間社会であのような形になるのは自然なことだ。

ハチャグミ精神で良いじゃない、集団はこうあるべきだと強弁したくなる。

水槽の水

 水槽があり今はグッピーだらけ。ブルーに赤のラインが美しいカージナルステトラとネオンテトラは全て死んで、今ではグッピーだけだになってしまったけど次々と孵化して何十匹にも増えている。今でも腹が大きいメスがいる、一体何処まで増えるのか。本によると選別しないと美しいものは出てこないと書いてあるが、選別するほど熱があるわけでもないので放っている。

 その水槽の水だが秋から冬に掛けて減り方が激しくなる。小さなバケツで補充しないといけない、それも週に2回も。旅行に出かけている間母も時々来る息子も水が減るのに気付かず補充しなかったのでモーターが空回りして焼けてしまい壊れてしまった。それで今は循環が止まっている。
家のものに”人間とは違ってサカナは冬になると大量に水を飲んで、減り方が激しくなるので水の補給を忘れないように。”と伝えておくべきだった。

 循環用モーターが動かなくなっても、空気を送るモーターは動いていて水槽の中の水車がゆっくり回り、もう一本の管からはエアーカーテンが出ていた。ところが先日そのエアー用のモーターも止まってしまった。水質改善と酸素補給装置がアウトになってしまったので今はなすがままの状態に放っている。いずれ酸欠になってしまうのか。

水槽内に草を生やすと環境が良くなるだろうとグッピーと一緒に貰ってきた。どこでも見かける水草でジャングルのように繁茂するヤツだが、我が家に持ってくると勢いが無くなってそのうち融けて消えてしまう。今回もそうなりそうだ。直射日光があたらないからだろう、そのうえ日光を代用する蛍光灯も点けていない、重い水槽を移動するのはタイヘンなので出来ない。植物用の蛍光灯やエアー用か循環用のポンプを買う気も無い。ということはグッピーを早く処分しなければならないということか。近くの小学校の池に持っていくか。ダムに持っていくか・・・

それともどうなるか見届けようか。

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