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可哀想な地酒

 いまタイの酒メコンを飲みながらPCに向かっています。
数年前タイ旅行したとき買ったものが戸棚の中から出てきたのです。それでチビリチビリ大切に飲み、正月三日に開かれる我が家での新年会で出しました。勿体無いと思ったのですが、妻の教え子が毎年この日に来てくれるので大盤振る舞いのツモリだったのです。ところが大不評、口を付けるだけで止める、”イヤなら飲むな”と言うと嬉しそうに泡盛に戻る。そんなに不味いのか!、?とした方がいいかな。

 それどころか、その日は教え子が琉大に留学中のタイ人学生を連れてきてタイ料理を作ってもらっていた。料理するのがひと段落したので二人の留学生に故郷の酒を出して懐かしんでもらおうとすると、ナンと笑って飲もうとしない。飲んだことが無いとノタマウ。オイ! 酒は文化だぞ故郷の酒を大切にしなさいと諭しても笑ってビールを飲んでいる。無理強いはイケナイ、でも可哀想なメコン。

 フィリピンでもラムが作られている、タンドゥワイという商標だったと思う。そこでもタンドゥワイなんか飲めないという人が多かった。飲み屋のネエチャンが「いつもタンドゥワイを飲んで酔っ払っているよヨ」なんて言う程度、つまり何処も地酒を飲むのは低級と思われるようだ。

 一昔前のウチナーもそうだった。島ー小(シマーグァと読む)とウセーられていた、洋酒一辺倒だった。ところが近年その地位を上げて完全に逆転し殆んどの飲み屋に泡盛が置いてある。たぶんクラブにも置いてあるだろう、行けないので確認はできないけど。
 私は何処へ行っても地酒を飲むことにしている。オミヤゲも地元で造られる酒にしている。味・匂いに最初は抵抗を感じても数日で慣れて味わいが出てくる。昔の泡盛に比べれば軽いものサ。そのような酒でも飲むほどに五感は痺れ第六感は冴えてくる、それが鈍くなると匂い・味なんて問題外の外となる。気持ちが良い、別の世界が開けてくる「いちゃりば兄弟」国際親善ここにあり。
万国共通の融和の源バンザーイ、いやこの際マンセーにしておこう。
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旅を終えて

 エジプトは何処へ行ってもエジプトでした。
前後泊を含めて2週間余の旅を終えて帰ってきました。旅については別のブログに書きます、そのうちに。
 帰ってまずメールを開けると迷惑メールがどっさり届いている、千を越す中からマトモなモノを掘り出す作業がタイヘンだ、1割も無いだろうに。ふるいに掛けられて尚且つこれだけのモノがもぐり込むのだからスゴイ量だ。迷惑メールで金を稼いでいるヤカラがいるのだろうが腹が立つ。たぶん機械で自動配信していると思われるがどうにかならないものか。

 出発前のケガで縫った糸は本来ならとっくに抜糸せねばならなかったが、旅行中で病院へ行く事もできずにそのままになっている。帰ってからアレコレばたばたしているうちに病院へ行くのを忘れてしまった、今日は忘れずに行こう。
大阪でも病院へ行き消毒してもらいました、その時抜糸の日時の事を聞かれたので、旅行中なので若しナンなら自分で抜きますと答えると、それは止めときなさいと言われた。糸を抜く程度なら自分でも出来そうなのに。

 仕事も放って出かけたのでその処理もあるし、待たせた現場も再開せねばならない、身から出た錆とはいえ忙しくなりそうだ。
-----
 先ほど抜糸してきました。お医者さんに事のイキサツやら旅の話をちょこっとしている間に終わりました。鋏で糸を切って抜くだけのようだったので自分でも出来そうな感じでした。2・3日注意するだけで良いようです。
 
 仕事は現場を見たりお客さんの話を聞いたり、大工と打ち合わせをしたりとエンジンが掛かりつつあります。気持ちを切り替えてマジメに行こうか、暫らくは。

ケガ

 脚立から降りるとき足を踏み外して腕の付け根をしたたか打ってしまった。あまりの痛さにショック=驚愕状態になっていた。久しぶりに又ショックを味わった。気を落ち着かせねばと階段に腰掛けて呼吸を整える。そのような場面では横になりたいけど、現場で工事人の目もあるので我慢していた。

指先を切った時もそうだった、ショックというのは注意が必要で、ケガそのものに注意を払うのは勿論だが、寒気を感じるので身体を温めるとか、水を飲ますとかの手当ても必要だ。
こういうときはボーイスカウトの救急法の訓練で得た知識が役立つ。当時は中学生で驚愕という意味は分からなかったが、大人になって自分がその状況に陥いり理解るなんてお笑いだ。

今日から旅行へ出るので24日まで更新できません。
ファラオに会いに行きます、この事故で厄払いができたと思うので王家の谷でも呪われないだろうし、ミイラに取付かれることも無いでしょう。

忘年会

 今頃になって忘年会の事を書くなんて時期遅れだけど、メモという意味を込めて書いておく。
お茶のグループで4夫婦に先生というメンバーです。これがお茶の同好会全員です。
他のメンバーは日ごろから練習は不熱心で専ら茶器の観賞と由来、産地などの話が主で練習するのは私の夫婦だけという感じ。お茶というよりオチャッケです。
でも主宰者がたいしたもので、裏・表・不白流やブクブク茶などを集めて合同茶会を開いたりする。

 お茶を始めてもう20年になるがウデはサッパリで、先生は”私からお茶を習っていると他所では言わないで。”とさも沽券に関わると言いたげな様子です。でもこの期間続いているので皆それぞれ満足しているのでしょう。

 今年はソバ屋、日本蕎麦屋で鍋を囲んでの忘年会だった、鍋は5人前だけであとは一品料理ということなので食べた事の無いニシンやツブ貝も味見した。その他にもいろいろ食べて私は満足でした。

先生から二次会はカラオケがあってダンスが踊れる場所が好いと言われていたので、私が希望に沿う場所を探した。ダンスホールはダンスが出来ないと面白くないだろうし、カラオケもそれほど歌えない。カラオケハウスでは踊れない。折衷の店があるのかダンスの先生に尋ねたら、先生が出張指導している場所の一つに最適な場所があり紹介してもらった。
その店で歌に踊りにと楽しんだ、誰かが歌いそれに合わせて踊る。ジルバやルンバは別に曲を流してもらった。他の客の歌でも踊ると喜んでもらえた。それに創作ダンスー要するに滅茶苦茶な踊りという意味ーも酔いに任せて身体をくねらせた。
先生も満足のようでした。
私は勿論マンゾク、あれだけ暴れたのだから。

楽しい忘年会でした。年寄りの集まりなのによくままあ・・・

学級新聞 その二

 今は昔の学級新聞について書いているのは、たまたま思い出したからです。新聞はB5の巾を縮めたサイズの紙4ページで7~8回出した。その原本が見つかったのが10数年前で内容をtxtファイルにしたのが残っていた。読むと当時の事が想い出されるだけではなく社会情勢まで分かる。単なる思い出に止まらず記録としておもしろいと考える。

 復刻して配布しようと考えたこともあった、しかし実名で書いているし内容が過激なものもある、書いた人は社会的地位にある者もいる、単なる思い出だけでは済ませないこともあるだろう、と思い出版は断念した。

これを持っている者は数名しかいない、何らかの形でクラスだった人に読ませたいものだ。時代背景がそうだったとはいえ、政治問題の討論が多かったクラスであった。

[主張]

第一号は非難だけだと、ある一部で言われたが、我々の批判は、常に前進への後押し役になるのを信じてこう批判したのであって他意は毛頭ないのを汲み取ってもらいたい。
次に第一号にも述べた通りこの新聞はあくまでも学級新聞であり、個人が出している偏向性のある利己主義的な新聞ではないという事を知ってもらいたい。我がクラス内においても、この新聞は編集者ばかりの新聞だと口には出さなくても心中では幾分あるのじゃなかろうか。それが結果として原稿の集まらない理由になったと思う。重ねて述べますが、この新聞は級と共にあるのであって、級なくしての学級新聞ではないという事です。級中が政治に関心が集まっているいる時は記事も政治色の濃いものになろうし、或は学習面のそれが重くなるだろう。それを決定するのは級一人一人の自覚にまつのであり、我々編者は単に、それを掲載するだけが主なる仕事だと信じている。

学級新聞

 高校3年生の時学級新聞を作っていた。
私は副編集委員長、学級新聞であったが編集権を盾に好き放題の紙面作りをしていた。クラスの中から政治問題に偏りすぎるとの意見も出た。
その一例として下記の記事をここに載せる。
湾岸戦争の背景、フセインの処刑など今現在のイラクに通じるものだ。

---(1961年7月17日)--------
カセム、クウェート併合声明

カセム=イラク首相は二十五日「クウェートはイラク領の一部であり今永久にその一部となろう」と述べ、さらに次の様に語った。
一、イラクークウェート間の通行上の障害を取り除き、又クウェートの為、社会経済開発計画をすでに立案している。一、帝国主義者はクウェートにいつわりの独立を与える事により我々のじゃまをしている。即ちクウェートは主の主権を奪う一連の条約、協定に縛り付けられている。
一、クウェートをその母国に帰することはアラブ国家の為である、イラクがトルコ帝国の領内であった時にクウェートがイラクの一部バスラ州であったが、一八九九年には英国はクェートをトルコ帝国から離して保護領とし、一九一四年には外交、国防を除いた独立を与えられた。(イラクは一九三〇年立憲君主国として独立)。又クェートは去る六月一九日英国との協定にもとづいて保護領の地位から離脱し、完全独立国となった。現在のクェートの石油埋蔵量は世界一で生産高は一億トン。イラクは4千万トンで合わせるとアメリカより1千万トン多くなり世界一の石油生産国となる。
クェートの国民一人当りの年間所得は五十万円(約千四百ドル)で沖縄の十倍、日本の七倍という。但し水は極度に少なくて一斗四弗もする。イラクの領有宣言はサウジアラビア、アラブ連合、イラン、ヨルダンを始め中共、インドなど東西中立国から反対され、イラクは非常に不利な立場にある。
しかしそうかといって英国の進駐に対してはアラブ連合が反対の意を安保理で表明しており、他の中東諸国も、白眼視している状態である。
つまりアラブ諸国としては英植民主義国の介入にたいして反対するが、といってイラク一国に膨大な石油資源を独り占めされたくないというのが本音だ。一方イラク駐在のトレベリヤン英大使は、六月二十六日ジャクド・イラク外相と会談したがこの時も英国は同様の態度を示し、もちろん英国としてはクェートから軍事援助の要請があった場合、いつでも援助する用意があると語っていたがその後要請により英国出兵となっている。(なお英国の国内需要の約四〇%はここの石油でまかなわれている。)

年頭に際し


年頭に際し・・・なんて、私が小中学生のとき正月は出校日だった。いや高校でも出校日だった。教職員を初め生徒一同が校庭(グランド)に集まり、校長の年頭に際し・・から始まる挨拶があった。それを真似して使ってみたがしっくり来ない。ここはくだけて
あけましておめでとう

夜から雨になるとは思えないほどの陽の光が射しています。
家族連れで来た孫たちもお雑煮を食べて、それぞれ散っていきました。孫たちはどうせお年玉なんて意味が分からないからと100円ショップでオモチャを買ったら見事に功を奏しました。
お年玉袋なんて面白くも可笑しくも無い、これが良いという感じではしゃいでいた。
この子等の未来が並み程度の幸せな世であるように祈りたい。
でもそれはムツカシイ状況になりつつある。皆さんはどのように思われていますか?
状況を変えたいとは思いませんか。

正月早々だが、今日見た記事でズキンときたものです、メモ的に記録しておこう。
サダム・フセインが好きになりそうだ。(笑)

http://www.asyura2.com/0502/war69/msg/865.html
□サダム・フセインとラムズフェルドの会談記録(日本語版) [イラク情勢ニュース]
☆サダム・フセインはイラク売り渡しを拒否
  Saddam

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