プロフィール

nesupa

Author:nesupa
FC2ブログへようこそ!

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

カレンダー(月別)

09 ≪│2006/10│≫ 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ALS患者の記録

ALS筋萎縮性側索硬化症患者の記録、私の先輩です。
つい先日インターネットで連絡できるようになり、(MLに参加なされたので)詳しい様子が分かりました。
記録のため又読んでもらいたくてこの場に転載します。
--------
私は平成7年9月、55歳8ヶ月のとき発病した。初期症状は左腕が上がりにくいだけで
、肩の痛みは無かった。最初の病院の診断は五十肩。アイロン体操で肩を使いなさいとい
う指示だった。まじめに取り組み1ケ月が過ぎても好転しない。次に紹介された整形外科
では首のレントゲン写真を撮り、頚椎が圧迫されているので、牽引をしましょうといわれ
た。2ヶ月たっても好転せず、たまたま3年生を担当し文系には地学、理系には化学を教
えていたので大学入試のセンター試験、それに続く二次試験と仕事も忙しくなったので、
通院を中止した。生徒が二次試験に出発した2月下旬、次に訪ねた整形外科では簡単な問
診と手足の動きを診て、神経内科医に紹介状を書いてくれた。筋電図検査ではALSに特
徴的な針状の波形が記録され、頚椎のMRIでは異常は無かった。最終的に平成8年3月
上旬ALS筋萎縮性側索硬化症と病名が決まった。すぐ校長に報告した。人事異動はすで
に決まり、そのまま勤務することになった。それは結果的に良かった。もし転勤して、新
しい学校で僕、病気ですと言うわけにもいかないと思う。神経内科という言葉も筋萎縮性
側索硬化症という病名もはじめて聞く言葉だった。用意してもらった病気のことを書いた
医学専門書のコピーを読み、念のため医者になっている教え子に電話したら、電話口の向
こうで絶句したようすだったので、何も聞けず電話を切った。
平成8年度の新学期が始まった。授業の持ち時間は平年の半分の9時間。この1年間の病
状の進行は左手、左足、右手の順に力が入らなくなった。右足は3年間力か入った。10
月にはチョークを持つ右手が上がらなくなり黒板の下半分にしか板書できなくなり、まも
なく11月にはチョークを握る力も弱くなり板書できなくなった。幸い声は今までどうり
出たので説明には困らなかった。
通勤は自宅から職場の高校までの30kmをマイカーを運転してい
た。この状態で平成8年度は終わった。
平成9年度が始まった。4月22日には手がハンドルに上がらなくなり、電車通勤になっ
た。自宅から駅、駅から職場まではタクシーでの移動になった。1ヶ月過ぎたころ、まず
隣家の人が気づき朝駅まで送って貰うことになった。帰宅のときもどうぞと言われたが、
時間が不規則なのでそれは辞退した。職場の同僚も気づき、朝駅まで迎えに来てくれ、午
後には駅まで送ってくれた。
授業は口頭で説明し、1時間の授業のまとめのプリントを渡してノートさせた。そのまと
めのプリントはワープロで作っていたが手がキーボードの上に浮かないので、腕を三角巾
で支え身体を前後左右に動かしてキーボードをたたいていた。試験の答案の採点も同じ方
法でやっていた。
忘れもしない10月20日帰りの電車のシートから立ち上がれなくなり、翌日はタクシー
で学校に行き校長に休職を申し出た。校長はそういう事態を予想して、先のことを考えて
くれていた。朝僕を自宅まで迎えに来て学校まで連れてくる係り、午後僕を自宅まで送り
届ける係りを決めてくれていた。有難かった。感謝あるのみ。それから退職する3月まで
通勤の心配は無くなった。
手の衰えと足の衰えはひどく、高さ15cmの教壇が上がれなくなり厚さ7.5cmの箱
を作ってもらい教壇に上がれた。板書ができなくなってからの授業スタイルは、口頭によ
る説明とまとめのノート記帳それと時々行う小テスト。小テストの成績が良くない生徒は
放課後口頭試問を行っていた。これが生徒一人一人を理解するのに大いに役立った。3月
を迎えお別れのときが来た。部活動の大切さを話し、病気の2年間のお礼を述べて36年
間の教師生活を終わった。定年まで2年残しての退職だったが悔いは無かった。
平成10年4月自宅療養が始まった。この日のために広さ18畳の病室、その隣に洗面所
トイレ浴室を直線状に配置して、天井走行リフトを取り付けた療養室を1500万円を掛
け増築して備えた。一日の生活のパターンは朝ヘルパーさんに電動車椅子に乗せてもらい
、夕方ベッドに戻るものだった。つらかったのはお尻の痛さ。クッションをエヤーマット
に変えたら解消した。歩けなくなったらリフトでトイレへ、でも下着の上げ下ろしは出来
ないので下着の縫い目のお尻の部分を解いておいた。入浴はヘルパーさんの助けを借りて
いたが、歩けなくなったらベッドから直接リフトで浴槽へ。浴槽から椅子に移り身体を洗
う。再び浴槽へ、椅子に移り身体を拭いて吊り具を代えてベッドへもどる。本人もヘルパ
ーさんも楽になった。排尿は尿器、排便はゴム便器で済ませた。そのゴム便器をお尻の下
に入れるのは一人ではたいへんだけど、天井走行リフトに輪を取り付け膝を入れ、リフト
で揚げると楽に済ませることが出来た。
10ヶ月経った平成11年1月誤嚥による肺炎で国立病院に入院して胃漏を作った。
気管切開をして人工呼吸器をつけることを勧められたが、自発呼吸は十分だったし、声を
失うのが怖く、断った。3月の終わりには退院し、自宅療養に戻った。病院ではなんとも
なかったのに、経管栄養を入れると脈拍が120ほどに増えて呼吸回数が増えるが、体が
それに対応できず息苦しい思いに、毎食後1~1.5時間耐えていた。4月中旬西病院に入院し、6月下旬気管切開をして人工呼吸器をつけた。息苦しさは消え楽になりまし
た。しばらくは声も出なくて意思伝達に苦労したが、1ヶ月少し経ったころかすかではあ
るが聞き取れる声が出るようになり、以後平成15年までの4.5年ほど続いた。
人工呼吸器をつけ自宅療養が再び始まった。痰の吸引も気管切開したところから直接吸引
チューブを気管に入れられるので楽になりました。入浴は人工呼吸器をつけたので自宅の
浴室は使えず、専門業者に依頼した。浴槽・お湯持参で看護師を含む3人で入れてくれる
。費用は12500円で週に1回入ると1ヶ月で5万円。自己負担は5000円。平成1
4年1月それまで一人で看病してきた妻が、看病の負担で身体を壊し看病できなくなった
ので,国立病院に入院した。妻の病状は好転せず、平成17年10月他界した。
平成16年ころから声が出なくなり意思伝達は瞼の瞬きに頼った。すなわち、五十音図の
あ行~わ行に1~10の数字を、あ~おに1~5の数字を当て、瞬きの回数で、まず行を
決め、次の瞬きの回数で、文字を決める。時間はかかるがこれしか方法はなかった。肉親
や看護師には分かるが、見舞いに来た人にはわからず困った。瞬きの回数が増えると疲労
を感じるようになったのは平成17年になってからだった。
その状態を1年近く続けた平成17年10月唇で制御できる携帯型意思伝達装置レッツチ
ャットに出会い、意思伝達が格段に楽になった。プリンターにつなぐと手紙が書けるので
、平成11年以降出してない手紙を上司、友人、教え子に書いた。レッツチャットは漢字
変換が出来ないので平仮名だけの文章になり読みづらいのが難点である。平成18年1月
8病棟に移った。ここではインターネット用の電話線が引かれており、テレビは自分のを
持ち込めるのでパソコンの画面を写せるテレビ、日立のノートパソコン伝の心、プリンタ
ー、およびレッツチャットを、ベッドの足元に立体的に配置し、唇で制御できるようにし
た。手紙はパソコンのワープロ機能を使えば漢字かな混じりの文章になり読みやすくなっ
た。9月15日にはインターネットに繋がり、メールの交換、検索で調べたいことが分か
り大変満足している。
  神経医療センター8病棟患者:M・T
スポンサーサイト

全文転載ですが・・・

全文転載はルール違反でしょうが、
記録として残しておきたいのであえてこうします。
原作者の方ゴメンナサイ
-----------
絵本「戦争のつくりかた」

http://smile.hippy.jp/ehon/index.htm

http://www.ribbon-project.jp/book/

あなたは 戦争がどういうものか、知っていますか?

おじいさんやおばあさんから、
むかしのことを聞いたことが
あるかもしれません。
学校の先生が、 戦争の話を
してくれたかもしれません。

話に聞いたことはなくても、
テレビで、戦争している国を見たことなら、
あるでしょう。

わたしたちの国
は、60年ちかくまえに、
「戦争しない」
と決めました。
だからあなたは、戦争のために
なにかをしたことがありません。

でも、国のしくみやきまりをすこしずつ変えていけば、
戦争しないと決めた国も、
戦争できる国になります。

そのあいだには、
たとえば、こんなことがおこります。

わたしたちの国を守るだけだった自衛隊が、
武器を持って よその国にでかけるようになります。

世界の平和を守るため、
戦争でこまっている人びとを助けるため、
と言って。

せめられそうだと思ったら、
先にこっちからせめる、とも言うようになります。

戦争のことは、
ほんの何人かの政府の人たちで決めていい、
というきまりを作ります。

ほかの人には、
「戦争することにしたよ」 と言います。

時間がなければ、 あとで。

政府が、戦争するとか、戦争するかもしれない、と決めると、
テレビやラジオや新聞は、政府が発表したとおりのことを言うようになります。

政府につごうのわるいことは言わない、
というきまりも作ります。

みんなで、ふだんから、戦争のときのための練習をします。

なんかへんだな、 と思っても、
「どうして?」 とは聞けません。

聞けるような感じではありません。

学校では、
いい国民は何をしなければならないか、
をおそわります。

どんな国やどんな人が悪者か、
もおそわります。

町のあちこちに、 カメラがつけられます。
いい国民ではない人を見つけるために。

わたしたちも、 おたがいを見張ります。
いい国民ではない人がまわりにいないか と。

だれかのことを、
いい国民ではない人かも、と思ったら、
おまわりさんに知らせます。

おまわりさんは、
いい国民ではないかもしれない人を
つかまえます。

戦争が起こったり起こりそうなときは、
お店の品物や、 あなたの家や土地を、
軍隊が自由に使える、というきまりを作ります。

いろんな人が軍隊の仕事を手伝う、 というきまりも。

たとえば、
飛行機のパイロット、お医者さん、看護師さん、トラックの運転手さん、ガソリンスタンドの人、建設会社の人などです。

戦争には、お金がたくさんかかります。

そこで政府は、税金をふやしたり、
わたしたちのくらしのために使うはずのお金をへらしたり、
わたしたちからも借りたりして、
お金を集めます。

みかたの国が戦争するときには、
お金をあげたりもします。

わたしたちの国の「憲法」は、
「戦争しない」 と決めています。

「憲法」は、
政府がやるべきことと、やってはいけないことを
わたしたちが決めた、国のおおもとのきまりです。

戦争したい人たちには、つごうのわるいきまりです。

そこで、
「わたしたちの国は、戦争に参加できる」と、
「憲法」 を書きかえます。

さあ、 これで、 わたしたちの国は戦争できる国になりました。

政府が 戦争する と決めたら、
あなたは、国のために命を捨てることができます。

政府が、
「これは国際貢献だ」と言えば、
そのために 命を捨てることができます。

戦争で人を殺すこともできます。

おとうさんやおかあさんや、学校の友だちや先生や、近所の人たちが、
戦争のために死んでも、
悲しむことはありません。

政府はほめてくれます。

国や「国際貢献」のために、
いいことをしたのですから。

人のいのちが世の中で一番たいせつだと、
今までおそわってきたのは
間違いになりました。

一番たいせつなのは、
「国」になったのです。

選挙運動

 私が出来る運動はシレテイル、ポスター貼りとか政策ビラを各戸配布するなどを手伝う程度だ。こういうのは頭数を必要とするので役に立っていると思う。最近の建物はアパートまで入口ドアに施錠して暗証かキーで入るのでビラは郵便ボックスに入れざるを得ない。せめて各戸の玄関に入れたいものだ。おおかたチリとして捨てられるだろうが、候補者の顔写真を見るなり、せめて一行でも訴えたい事を読んで貰いたい、誰がなっても一緒じゃ無いんだから。

 ポスターは電柱に貼る、昔と違って今はビニール紐で縛りつけるので貼るのもカンタンだし、撤去するのもカンタンだ。かつては糊をベタベタ付けて貼り付け更にポスターの上から糊でコーティングしたものだ。ポスターもバラバラで持たずに、丸めていた、丸めたものの上から更に次のポスターを巻き付けるという風に全てのポスターを棒状にし、片手に糊バケツを持って出動した。
そういう時期から比べると今は手軽に貼れる。チョットした空き時間に貼れる。世の中全ての面で進んでいるのだ。

 今でも選挙運動の中にいるとそれなりに問題、軋轢が生じる。かつてはそれがもっと酷かった。相手のポスターにケチを付けて剥ぎ取ったり、同じ事を相手からされたりとホントに闘いだった。一晩中追いつ追われつしたこともある。田舎の話ではなくてこの那覇市内でのこと。考えれば懐かしい想い出だ、これも勝ったから楽しく思い出せるのだが、負けた選挙はほろ苦い、やはり勝つことだ。

 選挙はあの手この手の戦術・戦い方あるだろう、上のほうは上のやり方があるだろうから私は自分で出来る運動、バイクに我がイトカズ候補の顔写真を貼り付けて走らせている。後ろの車の運転手は気になってきっと見るだろう。
追突してくれるなよ。(笑)

巣立ち・・

 先日バロットの事を書いたが、今のウチナーはバロットだ。
もう直ぐ孵化してヨチヨチ歩きをしてそのうち巣立ちをするぞ・・・と殻の中でその時が来るのを待っていると、食べ頃だとアタマから齧り付かれて食べられてしまう。

 辺野古のアメリカ軍の基地新設とオキナワの振興策はリンクしている、とはウチナー担当大臣の発言。
その上、米軍パトリオット・ミサイル(PAC3)の沖縄配備について、「幸い沖縄については米軍がPAC3を置いてくれた。沖縄の方までは今のわが国の予算の中で追いつかない点を先にやってくれた。むしろ沖縄の人は喜んでもらいたいと私は思っている」と防衛長官。

 それでも束の間の幸せ(?)を夢見て尾を振るウチナーンチュ、怒りを通り越してワライたくなる。
雛にさえなれないバロット、ちと哀しいよね。

オペラ座の怪人

 GyaOで見たのだが、音楽が心に残る映画だった、まだ響いている。
これほど印象に残るものだったら何回も見ておけばよかった。古本屋に安いCDが無いかと探しに行ったが見つけることができなかった。
アマゾンを見ると中古DVDが1700円で手に入る。こっちの方がいいかな・・

 たまたまダンスの水曜クラスでは、公民館祭りの出し物にこのオペラ座の怪人の曲に合わせてタンゴを踊ることになっている。あの大袈裟な手の動き、先生の振り付けの意味が映画を見て理解できた。意味を理解するのと身体の表現とは別物(つまりヘタということ)なので独りよがりの解釈・表現で踊ることになるだろう。でも自己満足・自己陶酔の世界に一瞬でも浸れたらそれでいい、そのように思えるのが年寄りの特権でもある。

チンチクリンむっくりんの身体で苦悩を表現しよう。(笑)

THE PHANTOM OF THE OPERA
In sleep, he sang to me.
In dreams, he came ...
That voice which calls to me and speaks my name ...
And do I dream again?
For now I find the Phantom of the Opera is there - inside my mind ...

Sing once again with me our strange duet ...
My power over you grows stronger yet ...
And though you turn from me, to glance behind, the Phantom of the Opera is there - inside your mind ...

Those who have seen your face draw back in fear ...
I am the mask you wear ...

It's me they hear ...

YourMy sprit and myyour voice, in one combined: the Phantom of the Opera is there - inside yourmy mind ...

He's there, the Phantom of the Opera ...

Sing my angel of music ! Sing my angel ... Sing for me! Sing my Angel! Sing for me!

I have brought you to the seat of sweet music's throne ... to this kingdom where all must pay homage to music ... music ...
You have come here, for one purpose, and one alone ... Since the moment I first heard you sing, I have needed you with me, to serve me, to sing, for my music ... my music ...


Quote from Andrew Lloyd Webber's The PHANTOM of the OPERA COMPANION
Navy is Phantom part.
Red is Christine part.
Green is Both part.

ゲテモノ喰い

 先日のTVでお笑い芸人がラクダの目玉料理をキャーキャー言いながら食べる番組があった。あまりのアホらしさにチャンネルを変えたのでその後は知らない。ヤラセなので真実感も迫真力も無い単なる時間潰し番組だ。

 ラクダの目玉がゲテモノの類に属するかどうかは分からないが、小動物をそのままの姿で料理したら大概ゲテモノになる。身近なものではサナギやバッタ類が目にしやすい、長野の佃煮は有名だ。

 タイでサナギとか昆虫のフライを食べた、サソリや美味しくなかった、口の中がやけにパサパサして味わう前に感触でイヤになった。タケ虫と読んでいたサナギのフライはポリポリと難なく口を通り抜けた。サナギなので良質なタンパクだ。生きたまま口に入れる地域もあるが、そこまでは真似が出来なくても見ていて不快感は無い。

 姿かたちを見て食べきれない人には孵化寸前のアヒルの卵、バロットはムリでしょう。あの卵の中にクルッときれいに丸まっているヒヨコ寸前のモノをガブッとやるのだからイヤだ~というのもムリは無い。よく見ると羽毛や嘴もちゃんと見分けが付くけどはっきり見極めることも無い、そのまま齧ればいい。アラ塩で味付けするだけだがゆで卵とチキンの味がする。

 ゆで卵と同じで固ゆでと柔らかめのモノがあるようだ、湯で加減なのか孵化何日前という差なのかは知らない。私は柔らかめのものが美味しい。ところでゆで卵のような黄身の塊りがあるがアレは何だろう。黄身は雛の栄養分だというが孵化寸前になっても未だ残っているものなのか。

 チャンスがあれば是非チャレンジしてみては如何でしょうか。

一口香(いっこっこう)

 長崎のお菓子です、たぶん。
長崎で食べたのですが、他所では見かけないので長崎名物なのでしょう。

 大きさは餡餅や饅頭ほどで、こんがり付いたキツネ色の焼き色がいい。栗饅頭を思い浮かべながら口に持っていってガブっと噛んだ。ちょっと硬い、パリっと割れた、中から当然餡なりナンなりが出てくるものと思ったが、歯は空を切り上と下の歯が噛み合った。

ナニこれ。
インチキだ~

姿かたちからは想像すらしない結末にただ驚くのみ。あの色あの形からして誰が空洞と思うだろうか。一瞬騙されたと思うほどだった。内側には飴風のモノが塗られているのでそれなりの風味はあった。
どのようにして内側に塗るのだろうか、と考えながらパリッと噛み砕いた。

珍しいお菓子は数々あれど、一口香はその珍しい部類に入るだろう。
ナニこれ、インチキだと言われてもしょうがないと思うが、騙されてもそれなりに風味もあるので笑えるお菓子です。近くで長崎物産展が開かれたら是非お買い求めください。ああいうお菓子ですので値段もそれなりに安かった記憶がある。

何も知らずに食べた時の衝撃が大きいのは当然なので、知り合いにお裾分けして食べる様を観察しても面白いと思います。

たべもの あれこれ

 食べ物の種類を知ったのは何時の事か・・
子供の頃のご馳走はカレーだった。あの頃のカレーは黄色だった、今のカレーは茶色に近いがあの頃はウッチン(うこん)で染めたような黄色だった。ハ~ハ~言いながら辛いのを我慢して食べた。
カレーはカレー粉を入れてトロミはメリケン粉でつけて作っていた、今のようにルーなんてものは無かった。ルーを使うようになってカンタンで美味しいものが出来るようになったと思う。
 カレーは子供のころから食べていた。

 餃子は高校を卒業する頃か大学生になってから初めて食べた。その時どのように感じたかは覚えていない。東京に行った友人が餃子というものを教えてくれたのだが、餃子をハイカラな食べ物と思っていた、なにせ東京の人が食べているのだから。

 ラーメンは高校の友人に医者の息子がいて、彼の家に遊びに行ったら来来軒のラーメンを出前で取ってくれた。当時は高級中華料理店で私は入ったことも無い、その店から出前させるなんてさすがに医者の家は違うと思いながら美味しくいただいた。
ウチナーソバしか知らないのでラーメンの複雑な味はとてもとても美味しかった。

 日本ソバは数回食べた事があるだけ。ただソバと言うとウチナーソバになるのでそば粉で作る蕎麦は日本蕎麦と言わないと区別できない。
蕎麦ツユの上品な味に魅了された覚えがある、当時日本蕎麦を出す店は桜坂オリオンの隣の更科という店だけだったのではないだろうか。
日本へ行ってから駅の立ち食い蕎麦を何回も食べた、うどんより蕎麦を注文するのが多かった。佐賀の神埼付近の食堂で、蕎麦を注文したらここはうどんの産地だからウドンにしなさいと言われたことがある。
確かにその通りです、ハンセイしました。

 シュークリーム、これも学生になるまで知らなかった。初めて食べたのは何時だったか覚えていないが、クリームをどのようにして入れるのか不思議だった。
子供の頃はマズシイ食生活だったのだ、確かに今は飽食の時代大概のものはここオキナワでも食べる事が出来る。その面では良い時代です。

 一口香、いっこっこう、漢字はあれで良かったのかな。
あのお菓子はちょっと問題だ・・この一口香については一項設けて書いたほうがいいのでいずれ書くことにしよう。

買い物&ウィンドショッピング

 金物屋へ行った。
娘がアパートへ移るが、コンセントが棚で隠れるので延長コード付きの三俣を買いに行ったのである。ホームセンターにもあるが580円もした、ちょっと高いと思ったので何時も利用している金物屋まで出かけた、バイクで15分掛かるので遠いといえば遠い、でも苦になる距離でも無い。

 そこで価格を見ると388円、やはり足を延ばして良かった、気を良くして2個買った。ついでに釘と白ボンドも買う、同じアパートの廊下側の窓に目隠しを作るのに必要な品々なので娘のカネを使っても文句を言わないだろう。

 帰りに本屋に寄る、売り場が大きな広くて在庫も多い店なので時々行く本屋です。今日は持ち合わせが無いのでただ見るだけ、旅のガイドブックのコーナーへ行く。年明け早々に行くエジプトが無い、数社から出されているシリーズの中でエジプトだけは見当たらない。

 どの出版社も在庫が無いというのは人気があって品切れなのか、その逆の人気が無いので店が置いてないのか。どちらも理屈に合うからこれは考えても答は出ない。他所の本やを廻れば答は分かるかもしれない。
 他の国を見るとトルコは数種類並んでいる、何故だ?
トルコとエジプトは似た様なものと思うが、トルコは人気があるのか。パラパラと捲ると懐かしい地名が出てきた。次にスイスを探すとこれもある。パラパラ捲るとなんと知っているようで行っていない街の名前がゾロゾロ出てくる。スイスは知っているツモリだったのに南の山岳地方に偏っているので、有名な町の事を殆んど知らないのだ。これは好みの問題なのでしょうが無い。

 そしてカヤックを見てヤル気を起こさせる為に久しぶりにアウトドアの店へも行った。色とりどりのカヤックが展示されている、作るときに生じた疑問を解決する為に一生懸命眺めて、寸法を取り、方法を見て学ぶということを幾度も繰り返した。
見ているだけで自分のものを作りたくなるのが不思議だ、またヤッタルか~という気分になった。

 たまにはウィンドショッピング好いものだ。

キリ番ゲット

 インターネットの初期の頃掲示板ではキリ番ゲットで盛り上がったものである。
今ではただ其れだけでは話題にもならなくなった。

 私の別のブログ、カヤックを作ることを書いているのだが、それがスタートしたのが去年の3月、1年半でようやく1万人の訪問者になった、正確に言えばその数字のある部分は私のアクセスが入っているので若干の狂いはある。
まあ1万人というよりも1万回のアクセスがあったということでしょう。

 せっかく訪れて下さるので、1万人目に粗品進呈という今では廃れたキリ番ゲットを告知した。30数年モノのアワモリを進呈するツモリだったのに名乗り出る方がいらっしゃいませんでした。
こういう企画自体が古かったのかな。
しかし30年もの、計算してみると35年物になる、このアワモリは地元でもめったに飲めるチャンスは無いと思われるのに何故名乗り出なかったのか。勿体無いと言いだしっぺの私でも思います。

 まあ申し出が無いのはしょうがないので私の企画倒れということで決着させます。
あのブログは素人がインターネットと図書館の本だけでカヌーとカヤックを作った時の様子を書いてあります。今は製作していないので更新も疎かになっているのに毎日20件平均のアクセスがあります。
何らかの参考にはなると思っています、作る人はだいたい同じ悩みを持つと思われるので、解決のヒントを得る箇所もあるでしょう。仕上がってから家族と一緒に海で乗ったが、ひっくり返ったのは1回だけです。それも不注意が原因でカヌーの所為ではありません。

 そのまま放っておくと又キリ番が廻ってくる。この次はどうしよう・・・
やはりキリ番かな。

県知事選挙

 新聞・テレビ会社が主催する政策討論会を見てきた。
来月行なわれる沖縄県知事選挙のことです。友人が討論会があるのでこの機会に現場の雰囲気を掴む為に見に来るようにとの連絡があったので出かけた。定刻前なのにケッコウな人数が入場している。テレビで生中継されるようだ。

 始まって候補者の自己アピールや政策を述べるときの拍手の量で比較すると、我が革新陣営と保守では3:7あるいは4:6で保守側が多かったように感じた。
知事選にかける意気込みの違いか、この時間(4時半スタート)に会場まで来れる人は経営者もしくは自営業のの皆さんで、組合員とか市民団体のメンバーは未だ就労中ということかな、と勝手な推理をした。

 討論が始まってみると我が方の女性候補糸数さんは堂々と意見を述べている。これほど成長したとは思っていなかった。他方経済人と自称する仲井真さんは中央の官僚から副知事、そして沖縄電力の会長とエリート畑を歩んだだけはあって堂々としている。
しかし顔が悪い(笑)、こんな事で評価するなと突っ込まれそう。経済政策で何か出てくるかと期待したがパッとした発想は見えなかった。
革新は経済面が弱いと言われるが保守だって似たようなものだ。

 なぜ仲井真さんがなるほどと思うような経済政策を打ち出せないのか。それはウチナーの経済振興はそうカンタンなものでは無いということの現われでしょう。アレコレ試行錯誤・場当たり的でも何かをしなければならない、処方箋は無いという証左でしょう。
そうであるなら何かをやる時のバックボーンすなわち哲学理念の問題になる、と私はおもう。糸数さんは理念勝負で行くべきだと思う。

 また彼はエリートコースを歩み天下りで企業のトップひいては県経済団体のトップになったので、創業者の苦しみ或いは二代目の会社を広げる時の熱情や発想力に乏しい印象を持った。討論の受け答えも原稿を棒読みという場面も多々あった。経済政策の発想も自分の体験というより誰かの話を纏めた感じだ。
経済人の経済政策はそんなに恐れるほどの武器では無い。

 では糸数さんはどうか、似た様なもので処方箋を示せる力は無い、しかし自分の言葉でしゃべっている、理念があるように感じられた。誰がやっても上手く行く方策は無いに等しい、それなら県の運営に一本の筋金を通した方がいい。

 全体の印象として、贔屓目で見ている点はあるがイトカズで充分戦えるとの確信を持った討論会だった。

ヒジキ

古い話を旧ブログから転載します。
書いた日は、2006-03-07 です。
-------------
この時期はヒジキ取りの季節だ。
初めてヒジキを取りに行ったのはもう何年前になるか・・・20年も前かもしれない、寒い日だった。友人に誘われて佐敷の海岸まで行った、私はヒジキがどういう形で生えているのかを知らないが、見たら直ぐ分かると言われて妻と波打ち際へ向かった。

 鎌と袋を持ち海に入る、ゴツゴツした岩が辺り一面に広がり水深は干潮の為に膝したまでしかない、波が来ても膝程度なので安心できる。よく見ると茶色っぽい植物が見える、しかし既に刈り取られたのが殆んどだ、ひじきを求めて歩き回ると急に落ち込み崖になっている場所に沢山残っている、残っているところは取りにくい場所なのだ。
手を伸ばして刈り取る、妻は浅場で取っている、寒いうえに濡れてくるので益々寒くなるが要領を得ると割りとラクに取れる。袋に詰めいっぱいになった袋は浜に置き又戻る。

 夢中になって刈り取りを続けていて何気なく沖を見ると大きな波が押し寄せてくる、妻を見ると前屈みなって鎌を使っている、水は膝下までしかないし足場はしっかりしているので一瞬安心したが妻に声を掛ける時間も無いまま波が来た。
 足を踏ん張り妻を見ると不意を突かれて波に巻き込まれてバタバタしている、これも一瞬の判断だが波に流される状況には陥らないだろうと考えた。水が引けばダイジョウブと考えた。ホントに一瞬の事だった。

 水に揉まれてバタバタしていた妻は水が引いたらキョトンとして坐っていた、それを見て不謹慎にも笑ってしまった。
後での話しだが「大丈夫と思ったのでよく観察していた、万が一の場合は救助できる体制はできていた。」と話したがプンプンしていた。
それはそうだろうと私も思う。

 寒さに震える妻と引き上げたのは言うまでも無い。
ヒジキはその後の処理がタイヘンだ、友人宅でシンメーナービ(大きな鍋)で蒸すこと2時間、圧力釜だともっと短い、両方使って全部処理した。
蒸したヒジキは冷凍庫に入れておくと乾燥物より美味しい。

# by nesu-pa | 2006-03-07 07:37 | Trackback | Comments(0)

子供のころの歌

 子供のころ、小学生のころ歌っていた歌を家族の前で歌ったら大爆笑というか、ブーイングものだ~とか様々な反応があった。あのころは面白がって歌っていたのだが、えげつない歌だナ~

♪~
ぽっぽっぽー傍糞まい
ニワトリ糞まてぃ
尻拭らん
や~しがタマゴや 
まあさんドウ  ♪・・・
 (ポッポッポーの曲に乗せて歌う。)

 方言で歌うのだが、訳するのがメンドウなので漢字混じりにした。
当然漢字の部分も方言読みです。

 こういう歌も伝承させるべきだろうか。
私には2歳半に10ヶ月の孫が3名いる。この子らに教えたら子供たちから総スカンを食いそうだ。それともおもしろい歌を教えてもらってアリガトウと言うか。文化の継承は難しいものだ。(笑)
向こうのジイサン・バアサンの前で孫たちが大声で歌いだすのを想像すると教えたくなる。

酔っ払いってイヤだね

 筋力トレーニングと脂肪燃焼、筋トレは機械器具を週2回使うとして有酸素運動は自転車にしよう、と自転車を引っ張り出して漕ぎ出した。運動のためとはいうものの坂道を登るのはイヤなのでルートを選びながら走った。

 市の中心地に近い泉崎橋に来て思い出した、かつてこのドブ川で泳がされたことがあることを。
 もう30年も前のこと、夜の10時前橋の上で信号待ちをしていると、酔っ払いが若い女性に絡んでいる、女の子が逃げたので酔っ払いは不貞腐れて欄干に寝そべる格好をした、アブナイなと思ったら案の定川に落ちた。どうせ酔っ払い自業自得だと思って放っておいたら、川向こうで先ほどの女の子が嫌がらせをされたのに”助けてあげて”と大声を出している。

 車を傍に寄せて下りて川をみると、例の酔っ払いはバチャバチャしながら浮き沈みしている。ドブ川なのでどうしようか迷ったけど辺りに人影はいない、しょうがないので背広を脱ぎ、シャツなど全てを脱いでパンツ一枚になって護岸を下りた。
ちょうど今頃の季節なので水はそれほど冷たくない、暗いので汚い水も見えないので気にならない。ボーイスカウト時代に水泳章を貰ったので、こういう場合の対処の仕方に多少心得がある。

 基本どおりにゆっくり後から近づき相手の襟首を掴む、若ししがみ付かれたら潜るのが鉄則だ、水が汚いのは我慢せねばこちらの命まで危なくなる。アゴを掴んで腰を相手の背中に当てて引くと習ったが、酔っ払いだし10mほどの短い距離だし適当で良いという感じで引っぱった。これがマトモな相手なら対応も違っていただろう。

 その頃になると騒ぎを聞きつけた野次馬が集まり始めていた。普段は私が野次馬になってこのような場面を面白がって見ているけど、その時は当事者になっていた。下りた付近まで来ると数名が手を差し伸べて引き揚げるのを手伝った。護岸は石組みなので私は楽に上り下り出来たが、急角度の斜面を酔っ払いを引き揚げるのに手間がかかった。
ほどなく救急車が着たので歩道に寝かせられた酔っ払いは乗せられて行ってしまった。アノ人騒がせな酔っ払いヤローにお灸をすえてくれとオマワリに頼んで帰った。

 車にあった雑巾で身体を拭き裸で運転したが途中から寒くなり、家に着いて風呂に入って寝た。風呂というても当地オキナワではシャワーのことなので温まる事は出来ない。布団を被っても寒い。風邪を引いたと思ったがそうではなくて、川に下りるとき足にキズを付けてしまいそこからドブ川のバイキンが入ったようだ。一晩唸らされた。

 酔っ払いめ、女の子がお願いしなければ放っておいたのに。
たまたま通りがかりの記者がいて新聞に載り、警察から表彰を受けた。もし助けなかったらヒドイやつとしてマスコミから叩かれてケーサツからお叱りを受けたかな。(笑)

住民健(検)診

総合判定
高コレステロール血症 要治療
 コレステロールが高いので治療が必要です。肉類・卵などを減らす食事療法も大切ですが、一度内科を受診してください。

内臓脂肪型肥満疑い 要再検
 上半身肥満と判定されますが、内蔵脂肪型肥満が疑われますので、腹部CT検査を受けるようお勧めします。

検査項目の主なもの
BMI 20.0~23.9 が規準のところ 22.6 だから正常
総コレステロール 120~219 だが 241 で判定 要医療
臍周囲 86.4 要再検

 先日受信した市の住民検診の結果が届いた。毎年のことだがコレステロールが高いと言われる。2年前と変わらない数値なので高値安定というところだ、今年はそれに臍周りが86.4cmで要再検が加わった。
体重の標準値55.6Kgのところ57.1Kgあったので若干のオーバーとも言われた。

 私が考えるに、内臓についた脂肪を1.5Kg落としなさい、ということでしょう。基準値は時代によって変わるもので、子供の頃の標準体重は身長-100という値だった。それが今では更に9掛けしなければならない。

 毎年指摘されるコレステロール値だって、飛びぬけて高い数値でも無いだろうに。食事療法をしているか、食事に気を配っているかと聞かれたが、カアチャンが作るのを食べているだけですと返事した。
タマゴだって週何個だし、肉も食べていると言うほど食べなくなった。入れ歯になってから食生活が変わった、変わったというのは食べなくなったということだ。だから自然に体重が減ってきた、食事の内容は私が気にしてもしょうが無い、作るの妻だから。アレコレお願いするのは過去の行為、一家の主人としての勤めを疎かにしてきたので今さら言えないし、聞かないだろう。

 何かでコレステロールの日本の基準値は見直すべきだというのを見た、こういうのを見ると、そうだそうだ見直すべきだと理屈も理論も知らないまま我が身を擁護する。仮に規準が変わったら現状の要医療が正常になるのかな、これもヘンだ。あまり気にすることは無いだろうと勝手に考えておく。

 ただ腹回りだけはナントカしたい、カッコウが悪いと自分でも思う、風呂上りに鏡を見ると腹の周りに土星の輪が付いている。これは誰が見てもカッコウが悪い、故にナントカしたい。
腹筋背筋を鍛えれば引っ込むか、消えるか。体重を落とせば都合よく腹回りがへっこんでくれるか・・・
アレコレ考えることなくダイエットの基本の、筋肉をつけながら脂肪を燃焼させるのが正当だろうな~。

洟をかむ

 体の調子が悪い事は前にも書いた。
その悪い状態が今も続いている。もう3週間にもなるだろう、深呼吸をすると苦しくなる、胸の空気がすぐ一杯になり新しい空気が入って行かない感じだ。友人に言わすと胸・呼吸器疾患では無くて心臓関係・循環器ではないかとのこと。

 風邪の症状に似ている、咳をして痰が出る、鼻が詰まるような洟が出るような症状が続いている。水っ洟が粘着性になってきたので直る前兆じゃないかと期待している。でも長いな~。

 洟をかむとき私はティッシュのような紙あるいはハンカチのような布を使わない、使うのは水だ。洗面所へ行き両手に水を受けその水を鼻で吸う。吸うというてもホンノ少しで水が鼻の穴に5mmも入ったかな、という程度。実際にはどの程度入っているかは知らない。水を吸うと洟が出やすくなりス~ッと出る。水を吸い、プッと勢い良く鼻から息を出すとそこらに洟が飛び散る、これを4~5回繰り返すと鼻がスッキリする。

 硬く乾燥した鼻糞も水が滲みこむと剥がれ易くなるのか、引っかきだすことも鼻を押すことも無く自分の吐いた鼻からの息で出てくる。ただ洗面器の思わぬ箇所まで洟が飛び散っているので後始末はちゃんとしている。
この水を利用することで鼻の下が赤くなり痛くなることが無い。外出先のトイレを利用するときは若干傍目が気にならないことは無いけどもうこの年になった所為か少々不躾な事を気にせずにやるようになった。

 もしこれはいい事を聞いたとばかりに実行する方、最初の2~3回は鼻に吸い込んだ水は自然流下に任せることです。ここで力んで鼻から空気を出すと耳にキ~ンときます。身体に良くありません。鼻の中の洟が充分柔らかになり自ら落ちそうになってからプ~ッとやるべきです。

ワチャク

 ワチャクとはイタズラ・おちょくるという方言です。
ワチャクにも穢れ無き悪戯から相手を愚弄するものまでいろんな段階がある。今回はチョットしたワチャクの話です。

 先日天願桟橋へパトリオット陸揚げ阻止行動へ参加した時のこと。友人は活動家で運動の理論・背景・方針などに影響を持っている人なのでその筋から目を付けられている。座り込みをしていたら彼の姿が消えた、暫らくして道路を見ると何か揉め事がある様子で彼の車が停車している。

 抗議行動とそれを押さえ込むポリの隊列で渋滞していたので、てっきり渋滞をもっと激しくさせる意味でいつもの様にポリを挑発しているかと思った。写真を撮りながら車の近くへ行くと、どうもそうでは無くて彼の車をオマワリが通さないと言う。抗議に着た車両は通さないとオマワリが阻止しているとのこと、彼の車の前後に車止めが置かれている。そしてその後には普通乗用車の屋根に赤色回転灯をピカピカさせ人相の悪い連中の乗った車が控えている。
そんなアホなことが通るかとこちらも抗議して車止めを外させる。

 そして運転を私に代わった。彼は前の晩の酒が残っており匂いがかすかに残っている。ツマラヌことで検挙されても消耗するだけなのでそれまで別人が運転していたのだ。
実はその時間彼は用事でこの場を立ち去る時間だったし、私も仕事の関係で戻るツモリだったのでよいタイミングだった。

 車をスタートさせると後の考案の車も付いてくる、鬱陶しいので車を寄せて停めると公安の車も停まる。交通のオマワリが先へ行けと指示する。私は後ろから回転灯を付けた車両が来るので道を譲る為に停まったのだと言う。それでも混雑しているので停車せずに行けと合図する、どうせワチャクだから後ろの車を先へ行かせろと少々ごねる。

 まあこのくらいにしておくか・・と車を走らる、相変わらずついてくる。ドライブインへ入ると離れた所に停まっている、ほんの少し停まって道路の車列に割り込んだら、向こうも数台後に並んだ。制限速度プラスαで走って追尾を振り切ろうと思ったが信号に引っかかりピタッと後に廻られた。帰り道だが若干時間があるのでこの際遊ぼうと思い、今度は2車線の道路を40Kmのノロノロ運転をする、赤色回転灯がピカピカしている車両を追い越す一般車両は無く全てがノロノロになった。

 チャンスを見て一般車両の列に割り込んだ、公安も数台後に並んだ。そのまま走っていると信号が黄色になったが私は突破した。後ろの車は停車する、必然的に公安の車両も停まる。チャンスとばかり速度オーバーして走らせる、後を見ると回転灯の威力で赤信号を突破してくるので脇道に入った。どうせ高速道路で帰るだけなので追跡されてもどうって事は無いが、その間楽しもうという魂胆なのです。

 追跡する側は、これも仕事だろうからマカレタら見っとも無いだろうからそれなりに必死だろう。一生懸命追って来る、あ~オカシカッタ。
ただそれだけです。
お回りをワチャクした(おちょくった)だけです。

飲み会 貧すれば鈍す

 「びんぼう」のお題でも書いたが、今私は金欠病、それも重度の症状下にある。
先日東京に住み着いている友人Tomyから電話があり久々に帰省するとの事。ついてはmaxiはBiseに会いたいので連絡頼むときた。

 メールでその旨をmaxiに連絡したら参加するとのResがあった、その後パトリオットの陸揚げ阻止に参加しようと誘われたの一緒に行った。車中で今私が置かれている状況を説明したら、彼も5千円しか無いのでその夜はBiseに金を持って来いと連絡せよと言う。良い考えだとばかりに車中から電話入れたら、意味が分からないままカネを持ってくるとの返事、助かった~

 それでその夜はTomyが好きなライブでジャズ演奏している店に集まった。楽しい演奏を聴き、アワモリを傾け充実した時間を他人のカネで満喫した。
この場でお礼を言うときます。>Bise殿

 彼らにも私が長期金欠病で治療薬も無いので、年に2回しか海外旅行へ行けない話を説明して状況を認識(?)してもらった。あいつ等だって昔からハチャめちゃなヤツラだったのだから、私の現況を分かってくれるだろう。
その場にNobuO-が居ないのがザンネンだった、彼が居ればもっと元が取れたのに。電話を入れたら、今ヤンバルとのこと至極ザンネン彼がいたら1回の恥であと1合飲めたのに、彼に奢らせるにはもう一度私の恥を晒さないといけないじゃないか。

 あれだけ飲みジャズを堪能したら充分に元を取っているから好しとするか。このように考えること自体、元を出さずに利子まで浚っていく強欲ジジイに成り下がってしまった。(笑)
貧すれば鈍すだ。

びんぼう

 もう何年も前に読んだフランス小話に
小学生の子供に親が、金持ちを自慢してはイケナイと説いた。
その子はある日の作文に「私の家はビンボウです、3名いる召使も皆ビンボウで、門番も庭師もビンボウな家庭です。」と書いて提出した。

 さあて私のことだが、私は今も昔もビンボウです。ビンボウというと食うのも苦しい感じがするから、ビンボウという言葉は当て嵌まらないかも知れない。カネが無いと言うほうが正しい。
どのくらい金が無いかというと、バイクのガソリン代とダンスの会費ー月に2千円の2ヶ所ーそれに携帯の利用料金を払う分を捻出するのにキュウキュウしている状態です。

このような状況なので今年は2回しか海外旅行へ行けなかった。
このように書くと何をバカなことをいう、と怒られそうだ。しかし現実なのです。私はこの数年よく旅に出るようになった。これは全てカアチャンのおかげなのです。費用かれこれ全て妻負担なので行けるのです。
小遣いも持参しません、それゆえオミヤゲも買いません。ただ2千円ほどを現地通貨で貰いビールを買う資金にします。
 友人へのオミヤゲを見つけたら買ってもらいます、数百円程度のものだが、これはと思うものを選ぶので貰った人には喜んでいる。金額じゃない心の問題だよオミヤゲは、と思いつつも金額を話したことは無い。
 
 よく海外旅行するので友人たちは私がこれほど耐乏生活を強いられているとは思っていない。言うても信じないだろう、大きな声で全部妻のカネで遊んでいるのだ~なんて不様な事は言いたくも無い。でも、それとなく話したことはある。それは「元を取る」というお題で旅のブログに書いたが、要約して再掲する。

 ”お前は旅先のバスの中で寝ているが、景色をシッカリ見て元を取らねば。私は眠気をじっと我慢して元を取るようにしている。”
「元を取る? 何のモトよ、元とはモトがあっての元でしょう。一銭も出さないで何の元をとるの?」と妻と娘。
いや、ひと言の反論もありません。仰せの通りでございます。
ただ口の中で、言いたい事は分かっているクセに、と口ごもるだけ。
ホントはツライのだよ、でもアハハハ・・と空笑いしたほうが世の中丸く収まる、胸のうちに留めて”そうだね~”とバカ笑い。

 これほど恥チラーになれる人っているかい、たいしたものだろうと開き直るしかない。

演奏会

 葉加瀬太郎の演奏会へ行った。
会場でアンケート用紙を配られた、内容は次の通り。
●性別、年齢・・・ありのまま記入
●よく見る(聴く・読む)TVラジオ雑誌について、・・・・テレビ・ラジオ・新聞はすぐ記入できたが
雑誌は愛読書が無い、そこで図書館へ行くと必ず読む「現代農業」を書いた。
●インターネットの利用状況・・・メールも含めよく利用している。
●よく利用するコンビニの名前・・・これは困った、利用したことが無いという項目が無い。
●好きなミュージッシャンはいますか・・・昌吉と超マイナー全く知られていない友人の息子の真喜志亮と書く
●本日のコンサートで印象に残った曲・・・開演前に書いたので無記入
●コンサートは年に何回行くか・・・1~2回に印を入れる。
●アルバム購入について・・・1.購入したは該当しない。2.購入しようと思っているも該当しない。
 3.購入していない、していないという表現がおかしいと思うが、これだろう。
●葉加瀬太郎のアルバムの中で好きなもの・・・知らないので答えようが無い。
●ご感想。ご意見・・・ゆっくり書こう

特にオモシロイと思ったのは、会場でお渡し頂けなかった方はお手数ですが下記までお送り下さい、とある。
わざわざ送る人はいるのだろうか、どうしても回収したければハガキにして受取人払いにすれば良いのに。

 抽選でもあればべつだろうが、休憩時間に書けない設問もある。
殆んどの人はアンケートを出さなかったと思う、あのような形の進行なら書く時間がない。
 -----
演奏会の印象
 葉加瀬太郎の演奏会は昨年も行った。バイオリンの弾き方が上手くて曲目も明るい軽音楽風・ジャズ風なので親しみ易い。堅苦しくなく聴けるのいい。
でも6500円は出せない、キップが手に入るので聴きに行くのだ。婿に押し付け販売なのか、協賛会社からの招待なのかは知らないが数枚のキップが廻ってくるようなので、そのご相伴にあずかっているです。

 印象に残った曲は、という設問もあるので記入する為に覚えておこうと一生懸命耳を傾ける。曲名は二三曲弾いた後に説明するスタイルなのだが、オリジナルなのだろう聞いたことのある曲が無いので曲名が頭に残らない。
第二部も進みギターのソロが始まりバイオリンのデュオでの掛け合いが始まった。これまでと違った雰囲気で重厚さがありしかも掛け合いが素晴らしい。バッハの二つのバイオリンための・・・という曲をジャズ風にアレンジしたと説明があった。

 これまでのオリジナル曲とは一味違う安心して(という表現は不適切かな)聴けた。ふわ付いたところがない。まっこの曲がイチバン良かった。これまでの曲は流れが単調で何時までも同じ風景の繰り返しを見ている感じがしていた。このような曲なら何時間でも連続演奏できるだろうと思うような、音の流れだけだった。弾く側は酔っているがその情熱が胸の中に飛び込んでこない。そのような気分で聴いていた。

 このコンサートも5年目だそうだ、根強いファンもけっこう居て満席だった。私は2回目だが昨年のことはあまり覚えていない。今年は舞台装置が大掛かりになっている、全国ツアーの一環としてしつらえた物と話していた。大型画面と連動させて効果的な使い方をしていた。演奏会へ足を運ばないので装置の進歩に疎い、これが普通になっているのだろう。演奏そのものに加えてバックまで楽しみました。

お買い物

 たま~に買い物を頼まれる。
リュウボウで牛乳が安いの3本、とか今日はカネヒデでヨーグルトを安売りしているので、とか頼まれる。以前なら500円玉や千円札を渡してくれたのに近頃はエディとかいうカードを渡される。

 オモシロク無い。
レジで支払うときカードを置くだけで済んでしまう。前ならお釣りを小銭で貰いポケット入れると自分のものと混ざり合い、オツリが幾らだったか計算しなければ分からなくなって200円ちょっとのオツリだったとか、ハイと適当に掴んだ分だけ渡していた。

 それが今はカードを返すだけになってしまった。時々安売りだから頼んだのにお釣りが戻らずかえって高くついたとのボヤキの声が聞こえた事もあったのに。ちかごろ世情がギスギスしていると言われるが、こういうささやかなことも影響しているのだろう。昔からお釣りの端数はお駄賃として買い物へ行った人に還元されたものである。
そのささやかな楽しみを奪ってしまうカードは人間関係を壊すものだ。ハンタ~イ。

 ジジイになっているので声高に叫ぶののもナンだし、黙っているのもシャクだし、不満を娘に言うと理解してくれた。”これまでお釣りを誤魔化していたのにもう出来ないネ”と慰めされた。

ブランドものの時計

 我が婿は時計に興味を持っているようだ、ロレックスが特にお気に召している。
いま現在持っているかどうか知らないが、チラシでロレックスの特売を見ると見に行っている。

 私は時計は時を見るためのものと理解しているので、普段はもたない。時間に制約を受けるような生活をしていないからである。時間を知る必要があれば携帯で間に合う。旅に出るときは娘から貰ったものを腕にはめる。その時計は机の上に転がっている。

 婿が熱心にチラシを見ているので思い出したことがある、ロレックスはバリ島で売っていた「安いよヤスイヨ。せんえんロレックスがセンエン」とうるさく付き纏う物売りが大勢居た、マニラでも”ロレックス千円”がいた。
そこで婿には、”この次あそこへ行く用事が出来たときにオミヤゲとして買ってくるヨ。”「いいですよ~」と遠慮している。
未だその方面へ行く機会が無いのでそのままになっている。

 この前スイスへ行った時、あれはクライネマッターホルンのロープウェイ乗り場に大きなロレックスの広告看板が掲げられていた。スイス隊がヒマラヤ遠征したときスポンサーになったのだろう。ヒマラヤ・アルピニスト・時計の組み合わせだった。
アルプスでヒマラヤというのもヘンだが、極寒に耐える時計を強調したかったのか。

 それで帰ってから婿に話した。
”スイスでもロレックスの宣伝があった、スイスでも有名のようだヨ。むこうで買うより本場で買う方がいいだろうから、オミヤゲのロレックスは次のアジア旅行まで待ってネ。”
空港の免税売店など見向きもせずカウンターバーでビールを飲んでスイスを後にした。

ニュースを見て 

http://www.cnn.co.jp/sports/CNN200610030026.html

無言で人種差別に抗議、陸上五輪の銀メダリストが死去
1968年のメキシコ五輪男子200メートルでは、米国代表のトミー・スミスが金メダル、ジョン・カルロスが銅メダルを獲得。ともに黒人の2人は、米国国家が流れる表彰台で、黒い革手袋をはめた手を高く掲げて、人種差別への抗議を示した。

このとき一緒に表彰台に立っていたノーマン氏は、2人からもらった「人権五輪プロジェクト」のバッジを胸につけ、人権差別に反対する意思を示したという。
-------
こぶしを天に向かって突き上げて抗議の意思を示す二人、横に立っているのがノーマン。
当時その場面をTVで見ていたが全く気付かなかったが、

 最初読んだときブラックパワーの二人が金銀を受賞したと思った、すると白人は・・・? となって読み返し
   ----
このとき一緒に表彰台に立っていたノーマン氏は、2人からもらった「人権五輪プロジェクト」のバッジを胸につけ、人権差別に反対する意思を示したという。
   -----
と書いてある部分をもう一度読んでノーマン氏も賛意を示していたと気付いた。

あの頃のアメリカはベトナム・公民権運動で揺れていた。
もちろんオキナワでも復帰・反戦の運動が高まっていた、
コザの歓楽街には黒人街、白人街があって米兵同士の諍いもあった。
今考えてみると騒然としたしゃかいだったな~

オーストラリアの白人選手が二人に同調した行動をとったことは知らなかった。
ちょっと遅いが今からでも拍手を贈り冥福を祈りたい。

不味いメシ、その後

 「どんなものを食べているか言ってくれたまえ、君の人となりを言いあててみせよう」ブリヤ・サラヴァン

 留置所の食事は警察署の庁内食堂が担当しているようだ。その食堂は業者に委託運営されていると思われる。警察は24時間勤務であるが、田舎の署、小さな署ではそんなに大勢の人間が配置されていないので、営業時間も昼前に開いて夜も早々に閉めると思われる。留置所の朝飯はパンと牛乳なので食堂は営業していないのだろう、たしか差し入れも昼と夜だけだった。

 あの日の食事について一緒に留置された人に後日聞いた話だが、その人もあの夜の食事はあまりの不味さに食べ切れなかった、一口で止めたら夜担当のオマワリが”食べてもいいか”と全部平らげたそうだ。
これには恐れ入った、あの食事を完食するとは。顔を人相が悪くて暴力団員をオマワリにしたような容貌だった。

 ブリヤ・サラヴァンが書いたように、あのような食事をとるとああいう風貌になると実証できたのが留置生活の成果(?)だった。(笑)
あの警察署の食堂は契約更新せずに新たな業者を入れたほうが良い。あの食事をフツーと考えたらオマワリ全員がワルクなる。

 食とは人格形成の重要な要素だ、疎かにすると豊かな人生を逃す事になる注意が必要だ。ヘンなところでブリヤ・サラヴァンを思い出して独り笑いをした。
それでその本を差し入れするようにお願いしたがけど、本の題名を間違えて連絡した為に留置所でそれを読み直すことは出来なかった。
家のものにはブリヤ・サラヴァンの本と伝えたが、正確にはロラン・バルトの味覚の生理学という本で、バルトがサラヴァンの本を解説(?)している本だった。

体調不良

 もう2週間ほど咳が出る。
痰が出ていたがこのところ出るのは僅かで残余感があり咳をしてもスッキリしない。初期のように痰が出たほうが気持ちが良い。咳をすると体力を使う、幸い何処も痛いところが無いので咳も思いっきり出来るけど、スッキリしないのでイライラする。残余感がどうにかならないものか。カ~ッ・・ペッと吐き出したいものだ。

 不快なのがもう一点、深呼吸が出来ない。深く息を吸い込むと喉の奥の下の方が引っかかり胸郭が広がらない。浅い息をハッハッとするような感じになる。酸素不足を感じる、まるで高山病のような症状で、高地を荷物を担いで登り息を切らしているようだ。肺の中ヴェールで幕が張り巡らされているような感じだもある。

 昔なら肺病という感じ。
熱は無いし身体がだるいだけ、節々の痛みはトレーニングのし過ぎなのか、風邪の症状なのか分からない。
症状が軽いので病院に行こうとは思わない、薬も飲んでいない、今のところ病院代も無いので重くならない限り行くことは無いだろう。

 ちょっとツマラナイことを書いてしまった。この時期にこういう事があったとの記録だけにしかならない。

| ホーム |


 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。