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ブログをまた開いた

 四つ目のブログ開設です。
1年前にブログを開き、どちらのブログが使い勝手がいいのかを試す為に次々を開き、それぞれテーマを決めて書いてきました。

 別のブログはカヤック作りと旅の話なので、ここは前記のこと以外の何でもありの場にします。
実はこれと同じテーマを別のブログに書いているのですが、そこの使い勝手がどうも・・・なので移転先を探しているところです。
ここの使い勝手が良ければお世話になるし、イマイチならまた別のところを探します。

 ここFC2BLOGはつい先日見つけて試しに書き込んでみたが、使いやすそうな印象です。まだ画像は試していないが追い追いアップしてみるツモリです。
何回か書いていくうちに真価が分かるでしょう。

当分は向こうのは置いといて、ここを主体に書いていきます。
向こうで描いたものの中には捨てるには惜しいものもあるので、ここに転載し、ブログの目的メモ・記録を保存したいと思う。

内容はまぜこぜ、チャンプルーでいきます。
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妄想 つづき

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 皆さん、ご存知の通り、この「きっこの日記」は、きちんとマトメれば遥かに短く収まる内容を無意味にダラダラと長く書くことが特徴のひとつだ
  ----きっこのブログ 2006.05.27  タマにはこんな日も----

 そうそう全く私の心境と同じ、やった~「きっこ」と同じだ~。
私は文を書くのが下手で何とか上手くなりたいと、友人に問いかけアドバイスを受けたり、そのことの本を読んだりと努力してきたツモリだが、持ち合わせたアタマ・その構造に規定されてこの通りの文しか書けない。
それでも書きたいという欲求があるので書く。もう開き直りしかない。
ではお題を続けましょう。

 このところ社会保険庁の数字のトリックを使った見せ掛けだけの向上がマスコミを賑わせている。
 昨日琉球新報を見ると、沖縄県でも7万2千件あったらしい、沖縄から統計数字を見るときは百を思い浮かべればいい。だいたい全国の百分の一と見ればいい。そこで全国の数字は・・・と見ると、7万5千件とある、アレッ見間違いかと沖縄分を見直したが合っている、オキナワは頑張ったのか、未だ全国の統計が揃っていないのでこういう数字になったのか、オキナワが全国の十分の一を占めている。
妄想が始まった。

 こういうのは褒められた話ではない、マズイ数字は十分の一で本来なら四十七分の一になりたい数字は百分の一である。ウチナーンチュの誇り意識の問題だ。
統計数字はそれの取り方・受け取り方の問題もあるがある程度の傾向が分かる。オキナワの免除数が多いのは所得の低さに起因するのも大きいだろう、しかし保険事務所の職員の意識の問題も大きいのでは・・・と考えてしまう。
 かつて教育庁の日の丸君が代の押し付け率が全国で上位にランクされた事もある。何故このようなことが起きるの? 報道は単に数字を挙げるだけで沖縄の数字がもつ意味を解説しない。疑問を持つのは私だけなのか。

 ウチナーンチュの一人として恥ずかしいので言いたくは無いが、ウチナーンチュの自分のアタマで判断しないで上の指導に唯々諾々と従う歪んだ根性の成せる業だと私は考えている。

 ウチナーのテーゲー主義は何処に行ったの?
やるべき事はテーゲーでお上からのお達しには無批判で権威を振りかざしてでも率先垂範する、どういうことか!。
ウチナーンチュ気質とは何なのか。チャンプルー文化という、アレコレまぜこぜにして美味しいものだけ摘まむということか。本来のチャンプルーは全てを食べつくさねばならないでしょうに。シシ小だけ除けてお上に差し出して機嫌を取ろうとしているのか。
このように見える行為を私は腹立たしく見ている。

 書きながらワジワジーしてきたので、つづくとしておこう。

「君が代」

■「君が代」の替え歌 歌詞と訳
 【詞】
 Kiss me, girl, your old one.
 Till you’re near, it is years till you’re near.
 Sounds of the dead will she know?
 She wants all told, now retained,for, cold caves know the moon’s seeing the mad and dead.
 【訳】
 私にキスしておくれ、少女よ、このおばあちゃんに。
 おまえがそばに来てくれるまで、何年もかかったよ、そばに来てくれるまで。
 死者たちの声を知ってくれるのかい。
 すべてが語られ、今、心にとどめておくことを望んでくれるんだね。
 だって、そうだよね。冷たい洞窟(どうくつ)は知っているんだからね。
 お月さまは、気がふれて死んでいった者たちのことをずっと見てるってことを。

いつも覗いているサイトで知った、産経新聞が報じたらしい。
なかなかいい事をするじゃない、サンケイさん。
これからもこういうタメになることをどしどし報じてください。

いつの日かオリンピックを始め国際大会で
観客の外国人が日の丸が揚がるのをみながら口ずさむ日が来るのだろうか。

 強制はしません、と答弁した国歌国旗の法律が
大量の処分を持って押し付けられ、今教育基本法を変えて愛国心を盛り込む。
ニッポン国が目指しているところが透けてどころか大っぴらに見えてきた。
その方向に浮かれたまま突き進む国民の姿を見ると
ヤケになって、
え~じゃないかエ~ジャナイカよいよいヨイッ
と踊り狂うお伊勢参りのようだ。

行き先は伊勢ではなく、ヤスクニだけど。

追記
http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/kissme/MadDead.mp3

ここで歌が聞ける。
物憂げなロックという感じだった。

妄想

 インスピレーション、ひらめきは妄想に通じるものがある。
妄想と書いたが内心は「正しい分析」と思っているフシがある、自分がこれまで仕入れてきた情報や培ってきた知性を駆使し一瞬の内に判断するのをインスピレーションというのだから自分では分析と思っている、しかも正しい分析だと。

 しかしその見方を大っぴらに発言すると顰蹙をかうのが多いと思われるので大声では言えない。批判に耐えられるほどの理論化や客観化が自分の知識ではできないからだ。でも、この「でも」という言葉はボクの悪いクセらしい、素直さが無いとよく言われる、”アヤマチ失敗を認めなさい”と度々言われた経験がある、そして”言い訳ではなく説明しなさい"とも言われる。
私の説明が言い訳に聞こえるらしい、ホントのところ言い訳と説明の違いを私は使い分けができていない、(と思われる。)
この辺りの話しはテーマではないのでひとまず置いといて本筋に行こう。

 スイス旅行したとき、ルチェルンの街を発っ美しい景色を眺めていた、絵にあるような小さな集落、木造家屋が並び窓辺や通りに咲き乱れる草花、これがスイスだとワクワクしながらそれを楽しんでいた。ところどころに赤いスイス国旗が見える、ある集落では半分近くの家に立っている。何かの記念日なのかと思ったが旗の立ち方並び方が祝祭日にしては不自然だ。毎日国旗を立てているのかな、愛国心が強い国なのだスイスは、と思った。後日国旗が立っている家は飲食物を提供しているというサインと教えられた。
スイスについてはその程度の知識しか持っていなかった。

 そこで本題に入るが、汽車は畑の多い地域から次第に山に登り始める、それにつれて畑、田園風景が牧場・牧草地へと変わってきた。車窓から牧場の様子を眺めているが牛の姿は見えず刈り入れ風景しか目に入らない。暫らく進むと牧草地に水を撒いている光景が目に入った。口径が20cmほどのパイプがから100mも水を飛ばしている。またホースに開いた無数の穴から水のカーテンが上がっている、通常見かけるスプリンクラーもある。牧草に水を撒いているなんて想像だにしなかった。放牧は草のある地へ牛を移動させていると思っていた。

 しかしスイスでは違ったのだ、スイスの牧草地は畑だったのだ、と私は知った。牧草は牛の主食なので牧草の生産量が飼育頭数を規定する、「上部構造は下部構造が規定する」のだから牧草は大切なものなのだ、草では無いのだ。

 車窓から見えた牧草地への水撒きから私のスイスの分析が始まった。夏の初めなので牛は山の方へ行っているのだろう、平地では冬のためにの牧草を刈り入れて保存し、二期目の牧草を生育させるのだろう。牛は山の中腹で生えている草を食べているうちに更に上の草が生えて、其処へ移動し今まで食べていた地域は秋までにはもう一回刈り取ることができるかもしれない。

 三段階に分けてそれぞれの土地を最大限有効利用するシステムが作られている。平地で、平地という表現は合っているか山なので裾野を指しているので平野ではない、その平地で働く人、中腹で牛の世話をする人、絞った牛乳を加工する人と集団作業・分担作業が行なわれているに違いないと私は確信した。
 封建農奴的な権力者がいて大勢の人間を働かせているというより村々の自治組織、協同組合的なものであろう。組合組織としての自治組織が村の運営・行政にも強い影響を持っているだろう。みんなが協力して牛を管理しなければ食っていけない地域なのだスイスは。出稼ぎも多い、バチカンの衛兵はスイスの若者だと中学生の頃の映画ニュースで見た覚えがある。基本的には貧しい国、みんなが協力し合わなければ食べていけない国だったのだ。
 個人が「家ぐぁー囲くえー」しては過ごせない、協力して生産力を高めなければ共倒れする厳しい地域なのだ。権力者の支配ではなくて自治組織でなければやっていけないモノがあるのだろう。

 牧草への水撒き風景からこのような事を感じた。検証していないのでホントかどうか正しいのかどうかは分からない。
このような視点を裏付ける風景はまだあった。レールが山際を走るとき崩落・雪崩防止のトンネルが作られている、谷側が柱だけのオープントンネルの屋根にも牧草が生えていた、ゴルフ場のグリーン以外は牧草のようだった。街中の線路の土手でも水撒き風景を見た。ありとあらゆるところが牧草地なのだ、軍用飛行場も然り。
全員が牛を飼うことに必死になっている様が窺われた。
水撒きから協同組合、自治組織とこの推論は当たらずとも遠からじでしょう。

 で、これからが本題である。
なぜこのように長々とスイスの事を書いたかというと、これから書くこともインスピレーションが働いたが妄想かも知れない、真剣に受け取るとイケナイよと言いたかったためです。

以下は後日書く予定です。

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