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はじめに


”ぶちくん”をtxt化したのはず~っと前になるが、改めて校正しmixiに連載した。下記はその時の説明文です。
私のmixiは訪問者が少なく1年で600名で、その殆んどが自分のサイトへの訪問者を増やす為の”足あと”目的の人たちなのでマトモに呼んだ人は数名です。つまり一般公開はしていません。
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「ぶちくん」とは高校生三年生のクラス新聞の名称です。
ウチナー方言で気絶やショックでぶっ倒れる様を表す語です。暑い日に走ってフラフラになると、ぶちくんナラナラーした(気が遠くなりそうだった)と言うぐあいに使う。

 そもそも新聞発行を発案したのは末吉君で面白そうなので私も補助役になることにした。編集方針や発行するに当たっての作業等を考えると個人で発行するよりクラス新聞に格上げした方が何かと良いと考えて学級会に提案し承認された。編集担当は発案した二人、これでクラスの協力を得ることが出来る。新聞の名称を”改造”や”前進”というようなニュアンスのものを予定していたのですが、誰かが「ぶちくん」ではどうかと提案した、この「ぶちくん」というのがおもしろい、言い得て妙、含みのあるニュアンスが当時の私たちの心に新鮮に響き選らばれた。

 張り切って作りました。鉄筆を持ち蝋原紙をガリ版に置いてガリガリする様子は今では想像もつかないでしょう。私は文字が汚いので女の子に頼んで切ってもらいました。これが学級新聞に格上げした最大の理由です。(笑)

 9号発行し分量は29ページです。
今から20年ほど前「ぶちくん」が私の手元に届いたのです。おそらく唯一の現存品でしょう。担任が保存してあったのが廻りまわって私のところに来たのです。藁半紙にガリ刷りの「ぶちくん」を見た時に私たち3年7組の青春の証しであると興奮した。先生にとってもあの時代の教師としての思い出が詰まっているだろう。それを手離すにはいろいろ理由があったようだ、考えるに先生は故郷を捨てるツモリだったのだ。捨てるという言い方は語弊があるが、退職後の人生に区切りをつけてヤマトに移住してしまった。その身辺整理の課程で処分したようだ。

 私は「ぶちくん」をtxt化する作業を始めた、印刷状態が悪く読みづらい、文章の前後から類推して書いた部分もある。いちばん悩んだのは誤字で直すべきかそのままにすべきか、迷ったがその時々の気分で訂正したり放っておいたりした。
暫らくしてから”てだこ”というbbsに加入して自分の部屋を作りアップした。自分だけ楽しんではワルイので身近にいるクラスメイトにコピーを配ったり、インターネットで送ったりもした。

 クラスだけに配るなら問題は無いが第三者の手にわたる場合や目に触れる場合を想定したとき若干問題が起きるかもしれない。新聞だからペンネームで投稿した人もいるが本名もいる、内容に問題があるとは思えないが何が発火点になって騒ぎになるかもしれないご時勢だからマズイこともあるだろう。しかし埋もれさせるには惜しい、読んで貰いたいとの想いもある。
 ここに載せながらtxt化したものをもう一度校正しよう。ここは過去ログの保管場所と位置づけているのでピッタリの場所だ。しかも読む人も少ないし見識ある方だけだろうから問題は出ないでしょう。

という意味で随時載せたいと思う。
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同期会


 先日中学の同期会があった。あのような会合は気が進まないけど、妻が言うにはどんどんアチラの世界に逝く年齢なのだから会っておくのも悪くないとのこと。会場で一瞬「おい老人会があるのか」と言いたくなる風貌の人が少なくない。そうか俺もこの年になったのだと思うも納得し難い。
一昨年「口も麻痺したら良かったのに」と笑った車椅子のヤツは来ていなかった。中には二度倒れたから良くなったと明るく言うヤツもいる。中学と高校を比較すると、数字の裏付けは無いけどどうも中学の方が早死にしている感じがする。高校進学率が50%を割ったかもしれない同期生だから職業・生活スタイルの差が現れたのだろう、あくまでも私の印象です。

 同期会での話題はいろいろあるけど特筆すべきは、既に曾孫がいる同期生がいることだ。私たちと比べると一世代違うことになる、彼は一世代長生きしたことになるのか。少なくとも彼の家族においては他家と比べて一世代長生きしたことになるだろう。トーカチの頃には玄孫の顔を見る可能性大だ、う~ん・・・。

テーマ : ひとりごと - ジャンル : ライフ

コーヒー その後・いま

 コーヒーは実の収穫から始まり、種を取り出す。この作業は未だ上手い方法が見つからない。一粒一粒を指で押し潰して中の種ー豆ーを取り出している。非効率なことこの上なし。500gほどの実から豆を取り出すのにけっこうな時間がかかり指が痛くなる。板と板の間に挟んでゴリゴリやれば上手く豆が飛び出すか・・・。豆はヌメリでツルツル滑り掴むのがタイヘンなのでそのあたりも考慮した豆取り出し装置を考えねばならない。

 500gの実から半分弱の豆がとれる。それを乾燥させると更に4割弱の重量に減ってしまう。つまり両手の手のひらいっぱいの実を採っても、コーヒーの生豆は7~80gしかできない。5・6杯分ということだ。

 いま3回目の収穫分を乾燥中です。3回分で200gになるかな~という分量なので、もう少し欲しい。実はたくさん付いているように見えるものの種を取り出せそうな熟した実は意外に少ない。枝を掻き分けて赤い実を摘むのも手間が掛かる。手っ取り早く木の下にシートを敷いて棒で叩き落そうかな涼しくなったので熟するのも遅くなった感じがするけど、実際はどうなのだろうか。実も小さくなっている気がするけど、そうなのか私の感が狂っているのか。
飲めるようになるまでにはまだまだ問題がある

テーマ : 雑学 - ジャンル : サブカル

コーヒー豆の精製 水洗いから乾燥

庭のコーヒーの木
 コーヒーの実は噛むと甘みがある。ただそれを果物或いは木の実として食べようとは思わない、実として食べるならンデンシー(桑の実)が美味しいだろう。
実を噛むと中にツルッとした種が2個入っている。つるつるして摘まむのが難しいほどだ。コーヒーに仕上げるにはメンドウな工程が待っている。

 検索から得た知識だが、コーヒーの実は、外皮、果実、内果皮、銀皮と呼ばれるものに包まれているそうだ。つるつるヌルヌルしたものは、読んでみると果実と内果皮の境目にあると思われる。ヌルヌル部分を取り除き乾燥したものを「内果皮付きのパーチメントコーヒーとなります。」と記されている。内果皮のことをパーチメントと言うらしい。

 庭の木はいっぱい実を付けている、しかしいざ収穫しようとすると未だ早く圧倒的に緑の果実が多い。そこで紫ないし赤く熟したものを選んで片手の掌に乗るほどの量をとった。水に浸けると浮かぶ実もあるので取り除いた。次に実から種を取り出した。これが先ほどから書いているツルツルぬるぬるの種である。

果肉と種を分けるのもちょっとコツがいるようだ、この程度の量でこのザマなので大量になると何か工夫しなければならない。
あちらこちらのサイトで仕入れた知識を活用して、取り出した種を水に浸けた。夕方になると泡が出てきた。

翌日水が少し濁って泡が浮いている、発酵は続いている。どの程度の時間水に浸けておくか分からない。そのうちコーヒーのことを忘れてその翌朝種を取り出した。水は少し異臭を放っているようだ。そういえばこの異臭を出さないように管理するのがタイヘンだと書いてあった。

私が水に浸した時間は40時間弱というところか。発酵菌によってヌメリを除去するのだから水替えが必要なのか、せっかく発酵菌が増えたのだから新しい水に替えるとどうなるか。この辺りのことを記述したサイトは未だ探せない。

 浸けたコーヒーを取り出すとヌメリはまだある。それを一粒ひと粒蛇口の下で水洗いした。ヌメリが殆んど取れているものから指先ツルッと抜け出すものまでいろいろです。僅かな量ー数えたら26粒ーで苦労するので本格的に豆を作ろうとすると何か方法を考えねばならないと思った。

 水路から流し床面や他の豆との摩擦でヌメリを取る方法があるとの記述があった。これは参考になりそうだ。擦り合わせてヌメリを取るのはラクだろう。擦るのは豆に傷を付けることにもなるけど、大規模農場で行なわれているようなので擦る度合いの問題だと思われる。

 ヌメリをとった豆は水分が12%になるまで乾燥させるとある。水分率12%とはどの程度の感想なのか見た目、手触りで分かるものなのだろうか。2週間ほど放っておけばいいのかな。

 今現在乾燥中です。

コーヒーを作ってみよう

突如このブログのテーマを一時変更し、我が家のコーヒーのことを書きます。
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 5~6年まえ母のお供で熱帯果樹の苗木を買いに行った際コーヒーの苗があったのでついでに買った。買って植えたまではいいものの、日頃手入れもしないし見ることも無い。オフクロは放っておくだけなら場所が勿体無いので切れと言う。木の形がキレイというわけでもなく、花を愛でるほど美しい花をつけているわけでもないのでオフクロにしたら只の場所を占有しているだけの木なのだろう。

 私にしても深い理由があって植えているわけでもない、ただコーヒーの木が珍しかったの植えただけである。でも取って捨てるとなると惜しくなるので言を左右にして切らずにそのままにしている。

 先日コーヒーの木に目をやると今では2mほどまでに成長し、赤や緑のツブツブがいっぱい付いている。それも鈴なりについている。せっかくこんなに実を付けているのだからコーヒーに仕上げてみようかと考えた。他人がやっていない事をするのが好きな性分の私なので早速検索して豆に仕上げる課程を調べた。

けっこうメンドウな作業が必要のようだ。
止めようかなと思うもそのまま放っておくのもナンだし、ということでとにかく始めることにした。
手始めに実を採りに行った。ところが赤く見える実も柔らかそうなのから少し硬そうなものまで、さらに紫色から緑まで同じ房に混在している。その中の熟していそうなものを一握り採ってきた。初めてのことなので量的にはこの程度でいいだろう。

 まず水に浸ける、沈んだ実を使い浮いた実は除くとあるのでそのようにした。次に種を取り出す。柔らかいので押し潰しながら種を出すとタネはツルツル滑るし小さいので掴みくい。
次はこのヌメリをとることだが方法は水に浸け置きして発酵させるそうだ。浸ける時間は一晩か二晩とある、気温によって発酵時間が違うのだろう。発酵の程度も知らないし、つけている間に水交換が必要かどうかも書いていない。

 そもそも検索で仕入れた付け刃の知識だけど、コーヒーは実を収穫してから精製という工程が必要です。焙煎に至るまでに3週間ほど掛かりそうだ。ちょっとメンドウだと思うもせっかく実が生っているので挑戦することにした。

これから飲む日までの課程を書きます。

選挙雑感

 選挙もあと数日後、政権交代ができそうで喜んでいる。民主党の勝ちすぎだとの風評もでているようだが、この際自民党が減るなら勝ちすぎでもかまわない。他の野党、共産党や社民党が壊滅的になるのは困るけど、こういう状況になってしまったら仕方がないと諦めざるを得ないのか。

 共産党は今頃になって健全野党とかなんとか言い始めている。私には、もう遅いとしか感じられない。これまで革新内部での闘争に主眼を置いて攻撃ばかりして、挙句の果ては利敵行為ー泡沫候補を立ててまで革新候補の当選を阻止し、自民党を助けた選挙が数多くある。もう遅いという心境です。

 1区のシモジ勝ちそうとのこと、これはこれで自民党をやっつけることになるので喜ばしい。半年前に下地のビラ配布に来た運動員に、”オレは革新支持者だが前回はあえて下地に入れた。それなのに知事選では革新を掻ミングァチなんだ。もしこのようなことを続けるなら入れない。”と話したことがある。
伝えておきます、と言うて帰った。

 今回はどうしよう。勝ちそうだから共産党の外間にいれて元気付けようか。でも共産党は本当にハンセイしたのか疑わしいからね。世代交代せねば変わらないだろうな~、交代しても変わらないのかも。

 ホント、誰に入れようか。
自動ダイヤルでかかって来る電話の世論調査では政権交代ムードを盛り上げる為に、下地と答えたけど、ホントどうしよう。

2区のテルヤは勝ちそう。数少ない社民党の議席を守って欲しい。
村山が自民党と組んで以来社会党への投票は止めた。それ以前から社会党には投票していない、その理由は私が入れなくても当選するからである。革新浮動票の私の1票は反自民に入れていた。以前は公明党に入れたことも何回かある。当時の公明党は革新陣営だったので入れた。それなのにアチラ側に行くとは。公明党の戸別訪問者に”オレが入れた票を返せ”と喚いたこともある。
今度の選挙は公明党にもお灸を据えるべし。

3区、候補者は誰だったか、新川とデニーか。社会党は当然新川が受け継ぐべきとの認識があるだろうが、若い者を育てなかったツケが回ったという感じ。社会党(社民党)の力全般が落ちているので若者を育てる余裕が無かったのだろう。
デニーさんが頑張っているようなのでこのまま逃げ切ってもらいたい。

4区チョービンが私の予想に反して当選しそうだ。バンザーイ
西銘の子供たちは親に似て顔立ちが悪い。ちゅウセーテいる雰囲気が顔に出ている。参議院に続いて衆院でも落としてニシメの世襲を断ち切りたい。オヤジは戦後の混乱期にそれなりに活躍したが、息子たちは単に世襲で受け継いだだけだ。幻想を断ち切る良いチャンスだ、最後までチョービンの健闘を期待する。

となるとウチナーは完勝か。
そうなると、メー歯うすいカンティ、いや大口を開けて笑い飲むぞ。

 あちらこちらで民主党大勝はマスコミの策略だ、との意見がある。確かに油断させる文句の一つである。それで投票所に足を運ばなくなる人も出るだろう。しかし敢て言う、このような活字が新聞紙面を躍ると浮動票を多く集める作用もある。私はこの効果のほうが大きいと考える。信念の無い人たちには勝ち馬に乗りたいという心理が働く。まだ投票先を決めていない人が何割かいるけどそのうちの7~8割は勝ち馬に乗るだろう。
 フユームナーが投票をサボっても浮動票で充分カバーできる、だから今回の選挙は民主党が大勝ちするだろう。

 また負け戦は元気が無くなる、どうせダメさと思わせたら投票へ行かなくなる人も出てくる。
①どうせ勝つから投票しない人、②負けそうだから投票しない人はどちらが多いか。それは①の私が行かなくても勝ちそうだから行かない人の数が多いでしょう。しかしその人数分を遙かに上回る浮動層の勝ち馬組がいる。こちらが何倍も多い。

 投票日まで跡数日あるが、自民党は手の施しようがないほどガタがきている。
日曜日が楽しみだ。

北朝鮮の核実験

 昨日北朝鮮、正式な国名は何だったかと調べたら、朝鮮民主主義人民共和国だった。正式な国名を忘れるほど、キタ、北といわれ続けてきたのだな~。以前のマスコミは北朝鮮=朝鮮民主主義人民共和国と呼称していたのに。ある意味私も洗脳されてしまっている。
 その北が二回目の核実験を行なったと報道され、北の情勢に詳しい方々の分析も報じられた。曰く国内を引き締める為に、曰く長男と三男の後継者の指名争いでの権力闘争、統領様の余命がいくばくも無いのでそれまでに国家の行き先の目鼻をつけない等など、専門家の意見だからどれもこれも頷ずけるがピタッと填まらない感じがする。

 マスコミも評論かも内から突き破るようなメッセージを出していないように思われる。何故か・・・それは自分の足で調べたものでは無いからだろう。連合通信によればとか○○筋によればとかの引用に基づく話が多い。
自分の情報源を持っていないのだろうか。テレビでは電話交換手とかホテルの受付の係りの人にインタービューしている。インタービューの対象者としてこれらの人しかいないのか。もちろんあのような国だから公然と自分意見を外国のマスコミにしゃべる人なんていないだろう。しかしそれを押してでも情報を得るのがマスコミとか専門家の役目だろう。
 政府のコメント、これはただの意思表明、それも内容の無い表明でしかない。国際社会と連携してとか米韓と共同歩調でとか判で押したようなコメントである。この何年間かで何か話し合ったことはあるのだろうか。口を開けば制裁強化という、相手の北にはそれなりの影響を与えているだろう。しかし我が国の要求に一歩でも近づいただろうか。私に遠くから吼えているだけにしか見えない。

 政府は対北に関しては解決しなくても国民の支持を得られるので何時までも引っぱっていたいだろう。「北はヒドイ」といえば国民が納得する、国民も敵を作って悪口を言えるほうが気持ちがスッキリする。その意味で政府は国民を代表している。そのように誘導したのだから一致するのが当たり前だが。

 思うに、この数年の北の要求もしくはメッセージとミサイル発射や核実験、それに対する国連=アメリカの行動、またニッポン政府の対応を一覧表にしてもらいたい。きっと何かが見えてくるはずだ。
北のメッセージで変化していないものがあると思う、それが何かということを知りたい。

嬉しかった

 全く個人的な話だが、私にとっては稀なことなので記録しておく。
昨日ブランコを作ろうと思い立ち手掛けた。設置場所は廊下の吹き抜け部分で、手摺と窓を利用してロープを吊るす棒を渡すことから始めた。手摺と窓の位置は高さが違うので水平線を引く、これは捨て墨である。このラインを規準に手摺と窓の高さの差を求めると460mmとなった。手摺天場から150mm下に棒がくるように計算して板を加工した。

 幸い材料は半端材で間に合いそうだ。頑丈で着脱が容易なモノを作らねばならない、其処が工夫のしどころだ。性格に測ったツモリ、いや測定は正確だった。しかし棒を板に取り付けるために彫った深さを棒に足すべきところを引いてしまった。この事は取り付ける前に気づいた、充て木をすれば解決できるのでそれほどの問題ではない。
一応できたので取り付けてみたらナンと棒が斜めになっている。捨て墨まで打って測ったのに。ここも足し算引き算の考え違いを起こしている。一瞬どうしようとギクッとしたが一ヵ所の板をカットすればよいことだと気づいた、ヨカッタ~
 手直しをして取り付ける、棒が15mm短いので板と壁の間に隙間ができるので、そこは埋め木をするツモリダ。

 ブランコの座板も加工する。14mmのロープを金物屋で買ってきた。棒や座板にロープを通すと擦れて傷が付きそうなのでビニールホースで保護することにしてホースも買った。仮にロープを棒に吊るす、なかなかの出来映えだ。
 最後の難関は、棒をぐるっと一回りしたロープを如何にして固定するかだ。ロープの長さを調整しやすくするために容易に外したり固定したり出来ねばならない。

 ワイヤーのループを固定する金具を使おうかと考えて金物屋へ出かける寸前に固定法が閃いた。板切れに穴を開けて、ロープをその穴に差し込むだけなのだ。ロープは穴を通ると方向を変えて又穴に入る、3個の穴を通せばロープは滑ることは無い。更に棒と座板とのロープの距離調整が至極カンタンにできる。

 試作してバッチリいったのを確かめたときホントに嬉しかった。カンタンなことだがこの事を閃いたことにドゥフミーするくらい嬉しかった。
冷たい金属を使うツモリだったのに木材でできたのは温かみが出たと同時に、アレーっと思うような簡単な仕組みでしかも工夫したナ~と感じさせる。

 満足感を漂わせながら、私は酔いに向かっている。

ごほうこくj

 誤報をご報告し麻生さんは危機としてより嬉々として官邸入り。
しかし誤報告であったためまた官邸から出たようだ。そのとき記者団から感想を聞かれてムッとしたようだ。これまで政府は北朝鮮に人工衛星ーモトイ!~ー ミサイルを発射しないよう要求してきた。強く要求したとのことであった、しかし中国政府経由での報道もあった。強く要求するなら本来他人に頼まず直接言うべきだろうに第三国に依頼するなんて筋が違うと思う。

 その中止を要求したミサイル発射が行なわれなかったのに不機嫌になる総理、本心は発射を今か今かと待っていたに違いない。それが空振りとなりアファーになっちゃった。そのバツの悪さはわかる。しかし、でも、そのような時は「北が世界中から中止要求が出ているので気が変わったのでは・・」とかナンとか軽口を叩きながら「誤報でなく本当に取り止めてもらいたい。」程度の発言をすれば後々の非難も少しは和らぐだろうに。。  
 いや~発射されないことに不満げな顔をする総理、本心がアリアリと出ている。
ザンネンでした。(笑)
そのうち打ち上がるだろうから、今度は間違っても撃墜しないように部下に命じてください。

 誤報告した部隊長よ、あまりにも先陣争い、功名心が強く持たないほうがよろしいのでは。今回の騒動は国民に恐怖心を与えるのが目的だから、1分1秒を争う必要は丸っきり無いのです。事の本質を理解していない。
ただ最高幹部は発射後何分で探知しその何分後にはゴホウコクできたと威張りたいだろうな。
急がば回れです、急がばアメリカを回れですよ、いつものように。(笑)

1 shot, 2 kills

http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10231398390.html

一発で二人射殺

Tシャツの図柄の話だけど、イスラエル兵士が着ていたというのはガザの戦闘の意味を象徴するものである。妊婦を殺すことがより効率的であるのは確かだ。
ユダヤの民は永遠に呪われるべし。
逆のニュースが流れてくる日を楽しみ待っておこう。

不発弾

 近頃不発弾に関する記事が多い。
今朝の記事によるとキャンプ・シュワーブで不発弾処理に当たっていた海兵隊員が爆発で死亡したようだ。
 先日は観光客が読谷の海岸で拾った錆付いた手榴弾を記念にと持ち歩き、石垣島でそのことが分かり大騒ぎとなった。本人ー大学生ーは爆発するとは考えなかったと述べている。私も同感、爆発の危険は少ないと思う。

 糸満市の水道工事中にユンボでガチ~ンとやって爆発してから立て続けに不発弾騒動が起きている。その後も高速道路を一部区間閉鎖して不発弾処理が行なわれているの、不発弾に関することは珍しいことではない。この事事態が異常なのだが慣れっこになってしまっている。

 過去大きな人身事故になったこともある。政府の対応は前にも書いたが、”ポツダム宣言を受け入れた時点で所有権を放棄しているので責任は無い”です。全く無責任な対応といわざるを得ない。戦争責任全てがこの調子である。強く出るところにはそれなりの対応処置をとっている。
例えば中国の毒ガス処理、ニッポン政府の責任はポツダム宣言云々の言い逃れは通用しなかったようだ。あったりまえだろう。その処理で利権が生まれパシコンと外務・防衛省の汚職事件となったのを覚えているでしょう。

 このパシコンーパシフィック・コンサルタントーは辺野古のアメリカ海兵隊基地新設でも防衛省とズブズブの関係がある。金があるところに利権が生じ、防衛とか外交は国民に奇麗事をいいつつ裏ー半分は表に出ているけど見て見ぬ振りをしているだけーでは甘い関係がある。

 不発弾は今でも何十万トンも埋まっている。政府は知らん顔をしている。それなら観光客に掘らせてオミヤゲに持ち帰させれば一石二鳥ということになるか。(笑)

CAD

 CAD-図面を描くソフトーを使ってみようと思い立ち、ダウンロードして解説書を買ったのは3年前のこと。それから何度も使おうと試みた、しかし上手く描けない。立ち上げて線を引き、色を変えたり○や□それに意味の無い線を引いて遊んだだけで描きたい図面は1枚も描けなかった。

 解説書が悪いのだろうと、友人の設計士が使っていて簡単で分かり易いと貸してくれた本を捲ってみたがダメだった。製図版もあるけど調整ができず平行線にならない、結局図面は手書き、三角定規と三角スケールで描いていた。

 先日改装現場の平面図を描く必要に迫られた。そこで又CADを思い出したので解説書を初めから読み、例題の通りツールを使ってみる。これまで挫折を繰り返していたので線を引いたり消したりすることは直ぐできた。
とりあえず寸法をとってきたメモを見ながら横線を寸法通り引く、そこから縦に引き、また横線を、という具合に引いていくと部屋の形になった。入口部分を開けるには・・その部分を消せば良い、線分を部分的に消すには・・と本から調べその通りの操作をすると入口が開いた。

 使おうとしても使えず、訳も分からずただ線を引いていただけなのに、少々扱えるようになっている。こうしたいという機能が見つからないものがあり、もどかしさを感じるが追々見つけられるだろう。それとレイヤー分けをしたいけど出来ない。

 これまで幾度と無く挫折して手描きをしていたのに、今回は何故CADを使って描けたのだろうか、CADの知識は変わらないのに。
ラクをしたいという気持ちが大きかったのかな。

謎解き

夢のプロジェクトの次は生活保護と落差の大きさがおもしろい。
夢破れて生活保護あり、ではなく両方を見つめてその中庸を行く
という風にも感じられる。中庸ではなく、堅実かな。

毎日私なら見逃すであろう事柄に論評していているエネルギーの源はなんだろう。
”オートバイ運転で脳の機能向上、ストレス軽減も――川島教授とヤマハ発の研究”

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0903/04/news070.html

という記事があった、それなのかな。
私もバイクに乗っている、しかしそれほどのエネルギーは出ていない。
カブ号だからかな。(笑)
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あるブログに上記のようなResをいれようとしたら「禁止キーワードが含まれているます」とのメッセージが出て書き込めない。さてどの語句が禁止なのか?
思い当たる節が無い、URLを書いたことかな。分からない。
同じFC2BLOGなので、この項がアップできたらそのブログ独自の規制なのか。
それともくだらない内容のものはお断りというメッセージなのか。(笑)

Doblog がダウン

 Doblog がダウンしてもうひと月は経つだろう。私もそこにブログを1本持っている。
2年ほど更新らしい更新をしていないので被害は無い。多くの人は一ヶ月もブログが掛けなければ困るだろう。他のサイトへ移動する人も多いと思う。でもこれまで書き溜めたものはどうするのだろうか、他人事ながら気になるところでもある。
もう一つ立ち上げて当面はそこに書かせて後々になって元のブログと統合する手段はとれないものか。どんどん流出させて閉鎖するツモリなのかな~

 このトラブルについてのサイトも開かれている、そこの書き込みで、DoblogはNTTの関連会社だったのを思い出した。あれほど大きくシッカリしている会社であろうハズなのに、このような状況に陥るとは思いもしなかった。
それにしても対応が悪い、無料だからということだからかもしれないけど。でも書いている人にとっては内容は大切なものだ。

 昨年の8発4日分まで修復されている、つまり私の書いた分は全て復元されているから問題は少ない。しかし私もそろそろ書くのを再開しようかと考えた矢先のことなので出鼻を挫かれた感じがしている。再開する日まで気長に待つとしようか。
たまたま私は書きこめる自分の場所をテーマ毎に分散しているので、Doblogでテーマにしているカヤックのことを書かなければいいだけなので気楽ではある。

 書けないブログのことに気を病むよりも、いつでも書けるブログ更新が先だろうけど。(笑)

河口彗海

 チベット旅行記を読み返している。河口師は頭は切れるし体力もある凄い人だ。ラサへ行く前には読み終えたかった。
ところで大蔵大臣の「シナ皇帝の配下」とはどういう意味があるのか。

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河口彗海 チベット旅行記 (白水社)
72 チベット探検と鎖国 

宣教師ミス・テーラー
 11月中旬にまたラサに来て大蔵大臣の別殿に住んでいたが、あるとき大蔵大臣が、
「どうも英国人は奇態だ。なぜあのように私の国の中を見たがるのだろう。ちょうど今から八・九年前のことだったが、シナ領と法王領の境であるナクチューカというところまで、英国の夫人が二人の下僕を連れて、我国へはいる目的で来られた」と話し出された。

 彼女はミス・テーラーという英国の宣教師で、シナから北部のほうを経てラサを越えて、ダージリンへ出る目的で来たので、大臣は彼女の名を知らなかったが、私はダージリンにいるときから、この女丈夫については聞いていたし、その女の道案内をして行った男と私はダージリンでふとしたことから親しくしていたので、私はその一部始終を知っていたが、そういう顔もできないので、珍しい話のように聞いていると、大臣は話をすすめて、
「その婦人がナクチューカまで来たところ、土人のために差し止められ、その地方からどうしようかと言って政府に伺ってきたので、政府は私を主任者として差し向けた。婦人の言うところによると、実は仏法のありがたいことを知りたくてやって来たので、これからラサの霊地に行き、ダージリンのほうに出たいので許可してくれということで、そのうえシナ皇帝陛下免状を示して入国の許可を求めた。私はあなたの事情を聞くと入れてあげたいが、法王政府の命令を受けているから絶対に入れることはできないと言うと、婦人はあなたの国はシナ皇帝の配下ではないか、それならシナ皇帝の命令状を持って来た者は必ず通さなければならないわけではないかと理詰めに出て来たので、もちろん我国はシナ皇帝の配下であるが、すべてのことに命令を受けているのではない。
ことに鎖国主義にいたってはたとえシナ皇帝が兵を向けて、外国人を入れなければならぬと言ってもけっして入れないのが我国の主義であると断言したので、とうとう帰ることになった。
 外国人がこんなに来て見たがるのはどういうわけでしょう」と言うので、
「さあそれはわかりませんが、いったい昔からこの国へ外国人が来ているじゃありませんか」と尋ねると、その事はなかなか大臣はよく知っておられた。

ハンモック

 部屋にハンモックを吊るした。タイはイサーン地方のアンコールワット風の寺院遺跡がある小さな町のオミヤゲ品屋で買ったものだ。これまで吊るす場所が無く死蔵していたものを、部屋が少々片付いたので吊るすスペースができた。

 揺られていると気分がいい、寝ていると不安定のように見えるけど引っくり返ることも無いし落ちる心配も無い。ゆらゆら揺れる感覚は気分がいい。目を瞑りふんわりユラリと漂う気分で、さて今年は何をしようかと考える。すでに雛祭りが終わっているのに今年の計画を立てるということは60日間捨てたという事になるのか。まだまだ先はある、慌てふためくことも無いだろう。
旅行は春節後の元宵節を台湾で堪能した、この次の旅は9月まで予定は無い。カヤックを作ろうかと準備を始めようとしたところ、ハンモック作りはどうなんだ、とも考えた。

 寝ているハンモックから降りて編み方を見た、40本の細い紐で編まれている。なんとなく出来そうだ。細引は150mあればいいか・・とか、このハンモックよりも装飾に凝ってみたいと詳しく眺めると、ふと編み方が私のイメージしていたものと逆になっている。
私は4mの紐40本を編んでいくと考えていた、そうすると結び目が横になる。ところが目の前のハンモックは結び目が縦になっている。ということは菱形のマス目は縦ではなくて横方向に伸びているのだ。
考え方が根底から覆された。

 編み方を検索するもコレッというのになかなかヒットしない。挿入した用語が拙いのだろう。語を替えながら検索しつづけて、ようやくそれらしきサイトに到達した、一から十まで全てでは無いけど手順・イメージは分かった。
これほど難しいものとは思わなかった。結び目には目を瞑って縦糸式にしようか、それなら簡便法だ。でもやるならキレイに仕上げたいので編むしか無い。

 いっそのこと織りはどうなんだ、とまで考えるようにもなる。これは飛躍しすぎか。
昨夜からあ~でも無い、こ~でも無いと編み方を考えている。実際手掛けるとなると面倒なことが起りそう。力の入れ具合でマス目がイビツになるだろう、それに目の粗いところと細かい個所を織り交ぜるとデザイン的におもしろくなる。ウデが伴わないデザインがどのようなものになるか。

 調べが進んでいるうちに自信が揺らいできた。ハンモックだから揺れるのは当たり前だが引き下がるのもシャクだ。今のところ作るなんて口外していないので止めることも容易い。暫らくはアタマの中だけに留めておこう。

再び佐藤優

 佐藤優を批判しているブログがあった。長いので1/3ほどしか読んでいません。

http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-1.html

金光翔「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載)

それで感想は?
彼は本人も述べているように保守系の論客と思っている。それ故物足りなさも感じさせる点もあるが、今の状況下でアレだけ述べる人も少ない。ザンネンながらあの程度でもヨシとせざるを得ない。

 それにウチナー問題を主に書いている新報の論評を読んでいるので、さほど不満も無い。むしろさすが勉強している人は違う、新たな視点で書いている。参考になります。それで多分山崎幸太郎のブログにからだと思うが、彼を紹介している部分を転載しておく。

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 さらに「サンパチロク文化の喪失」云々のくだりについては、本連載第49
回「大城立裕氏の真摯な言葉」で、筆者が<沖縄人の血が流れている一人として
、筆者もサンパチロク文化の韻律を回復したい>などと述べたことを指している
ものと思われる。確かに筆者は、沖縄方言を自由に操ることはできない。しか
し、真面目に沖縄方言(琉球語)の勉強、『おもろさうし』のテキスト研究、
更に漢文で『球陽』の読み解きをしている。小林よしのり氏がいくつの言語を
習得しているか、筆者は承知していないが、筆者は外交官としてロシア語、英
語は日常的な実務で用いてきた。チェコ語では神学書を日本語に翻訳している
。更に、いくつかの外国語を勉強したが、そのうちドイツ語、朝鮮語、ラテン
語、古典ギリシア語は今も仕事で用いている。琉球語については、もう少しで
古典ギリシア語のレベルに達すると思っている。沖縄方言の理解不足により、
筆者の評論のどのような問題が生じているか具体的かつ実証的に指摘しない限
り、この政治漫画家の発言に意味はない。それに、最も重要なことであるが、
筆者の自己意識について「妄想的沖縄ナショナリズム」などという悪罵を投げ
つけられる筋合いはない。もっともこのような侮辱的な言葉を投げつけられる
ことで、筆者の沖縄人としてのアイデンティティーは強化されるので、小林よ
しのり氏に「刺激を与えてくれてありがとう」と感謝すべきなのであろう。
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 琉球新報の毎週土曜日の朝刊に「佐藤優のウチナー評論」というのが載る。
これを読むまで彼がウチナーンチュの血を引いているとは思わなかった。母親が久米島出身と本人が書いてあった。

 悪のデパートと非難された鈴木宗男の政治力をバックにした外務省のラスプーチンと言われた頃、私はムネオは嫌いだった。しかしこの佐藤優という人はアレコレ書かれていた。それを読んである意味とても頭の良い人を外務省は使いこなしていないと思うようになった。彼の持つ情報収集力やロシアの人脈を外務省は生かすことなく、むしろ彼を悪者に仕立てて追放しようとしている。外交には様々な駆け引きがある、その時は情報収集力に分析力が必要だ。佐藤優はその面では有能な人だと思われたので、彼を使い切れない外務官僚を非難したくなったのだ。

 彼は今訴追されて被告の身なので休職中となっている、お蔭で彼の評論活動が私の目に触れることができるので個人的には良かった。
彼の鋭い視線が好きだ、その源は彼のアタマの良さと学問を基礎とした独自の分析力と思う。土曜日にはまず彼の評論を読む。

 評論の55回目(1月31日)に、”沖縄はいつから日本か”と表題がついている。私は考えたことも無かったが、鈴木宗男の政府に対する質問趣意書である。結論だけ書くと「沖縄がいつから日本国の一部であるかということにつき確定的なことを述べるのは困難」というのが日本政府の公式見解なのだ、とある。

 ハッキリ宣言せずにうやむやの内に日本国の一部にしてしまったのだ。だから今でもウヤムヤ曖昧な態度をウチナーにとっているのだ。
有耶無耶なかたちで離脱したいものだ。(笑)

追記:肩書きは「作家・起訴休職外務事務官」となっている。

ユダヤ人による虐殺

イスラエルによるパレスチナ住民への攻撃は目に余るものがある。かつてユダヤ人が強制袖手所に入れられ、殺された歴史があるので殺し方をよく学習している。物も言わさず殺すやり方はきっとナチから学んだのだろう。

 かつてイスラエルは、イスラエル国民が一人殺されたらアラブ人を十名か百名殺すとの発言の記事があった。たぶん一対百のわりあいだろう、それが次第にエスカレートして倍率はもっと上がっているようだ。
圧倒的な軍事力を背景に赤子の手を捻るのにわざわざ戦車でやつほどになっている。

イスラエルは無限地獄に陥っている、滅亡へ転がっている。これは私の希望的観測である。そうなって欲しい、パレスチナでの共存との考えが強かったが、あのやり方を見ているとイスラエルは滅びた方がいい。
そこでわが島ウチナーにもユダヤ人が住んでいると思うが、もし居所を私が知ったらイヤガラセに行くツモリだ。ナチの軍歌をカセットで流しハーケンクロイツを掲げて押しかけよう。
できるならそのユダヤ人の平穏なる生活に水を差してやろう。
日頃は寄付なんて一切しないが、もしハマスにスティンガーミサイルを贈ろうとの趣旨の寄付金集めをしている場所があれば、何がしかの金を寄付する。

イスラエル・ユダヤの残虐性に呆れてる、ハラがたつ。軍事力でパレスチナの闘争を押さえつけるのはムリだ。分かっていても強硬手段を取らざるを得ないイスラエルは気の毒でもあるが、やはり地獄へ落ちる方を望む。

今回の軍事作戦もイスラエル政府の選挙戦術の一つなんだからやるせない。

ワークシェアリング

 ワークシェアリングという言葉が財界から出てきた。労働時間を短くし余った労働を他の労働者に回して支えあうのがワークシェアリング、とてもよい制度に見える。いいのかもしれない。
でも財界側の発言のウラも感じながら仕事を分け合うことをしなければ正規社員ないしまだ契約を打ち切られていない労働者の分け前の分配のみに終わってしまう。

 企業のコスト面から見ると、今在職している従業員への分け前から別の従業員へ回すのだから、人数が多くなって若干管理費用は掛かるにしてもそれほどの出費は要らないものと思われる。つまり考えようによっては、他人の褌で相撲を取っているようなものだ。他人の痛みだけで自分=企業は痛まないという理不尽さも垣間見える。

 そのことが多くの人の雇用を守ることになるとの意見を全て否定するものではない。しかし、しかしだ大幅な利益を挙げた期間にその一部でも働く者に還元しただろうか。生活をさせてあげただけにしか感じられない。利益を吸うだけ吸って不況になると働く者を放り出し、社会にその後始末をさせる、これが企業の責任だろうか。

 その企業行動が正しければ好況時には会社が痛みを感じるほど分け前を分捕っておかねば労働者は割に合わないことになる。この不況時だからこそこれまでの分け前を要求すべきである。

 ワークシェアリングという響きの良い言葉のウラを考えて、ワークシェアリングするにしても、同一労働同一賃金の原則の要求を貫くべきだ。さらに今働いている労働者は労働時間は減っても得られる所得は従来どおり貰える様に要求すべきだ。

 それらの要求は働く者として当然の要求である。社会からの非難批判はあるだろうが、社会の常識というのは何処かの誰かが作り出すものだから最初からそれに飲まれることは無い。
せめて現在の労働費と物件費に含まれていた労働者の賃金んぼ合計額より多くの人件費を引き出すように頑張るべきだ。

 これからの交渉の報道を注視していこう。

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